ボクの好きなドビュッシーが、こんな素晴らしいことを言ってます。

 昨日、机の上をすっきりさせて、「夏の間、活字離れをしていた分、これから取り戻さねば」と取り出した『ドビュシー:音楽論集」』に、こんな一節を読んで、なんでか涙を流すボクです。
『死者のうちには、慎みが深すぎて死後の栄光というわびしいつぐないを余りにも長く待ちすぎる、人たちがいる』と。
『J・S・バッハという栄光の記念碑が、私たちにヘンデルを隠す。浜の真砂よりなお多いヘンデルのオラトリオを、人は知らない。(中略)アレッサンドロ・スカルラティ、このナポリ楽派の創始者には、多作で多様な作品があることに、まったく唖然としてしまう。(中略)まだ大勢ほかの人たちもいる。いつも同じものばかり演奏するのは、たぶん間違いであって、たいへん正直な人に音楽は誕生して間もないと信じ込ませるおそれがあるが、実は灰をかきまわさなければならないほどの「過去」を持っている、ということを言いたかった。私たちの「現在」が光輝の一部をつねに負う、あの消すことのない焔を、灰が支えているからである(平島正郎訳、岩波文庫)』と。
 栄光に輝く焔は、その「灰」によって支えられている?!
ちょっとエキセントリックな言い方の鋭いドビュッシーの口説に、またボクは脱帽し目頭を熱くしています。
シューベルトに、こんな曲があったのか」、「余り聞かない作曲家だけど素敵な曲だなぁ」と新しい感激に出くわすことが何度もあるというのに、聞き手のボクらは、いつも耳タコの鼻歌で歌えそうな曲ばかりを聴いてないだろうか。
 やはりドビュッシーは凄い!読書の世界って素晴らしい!
     
 黒いニュービートルと白いミシェール。夕方の散歩から帰ってガレージの前で撮ったもの。