『ボクは人生の各瞬間における、ボクの見方、ボクの考え方の中にいる(ジャコメッティ)』

 今夜から寒くなって数日は雪だろうと言う。慌てて除雪する必要もないし驚くことはない。
 シューベルトピアノ曲を聴きながら広げた本の中の、こんな一節が目に留まった。
 『ボクの彫刻、油絵、デッサンは、ボクの人生におけるものの見方、見え方そして考え方の変化と結びついてい る。彫刻、油絵、デッサンのひとつひとつは、人生のある特定の瞬間、ある特定の日と切り離すことはできな  い。それらは、その瞬間、まさにその瞬間におけるボクの見方、考え方のしるしだ。そして、その前に作られた
 すべてと、その特定の瞬間の後でつくられたものを繋ぐ鎖の環だ。ボクは人生の各瞬間における、ボクの見 方、ボクの考え方の中にいる(「ジャコメティ:エクリ」矢内原伊作訳・みすず書房)』
 「あのジャコメティが、こんな凡庸で当り前を言うのか」と思ったが、繰り返して読むと、とても凡庸でないことに気が付いた。
 例えば、ボクは気が向けばブログを書くが、ブログを書く瞬間におけるボクの見方、考え方とは切り離せないことを書いているし、その筈である。以前に書いたものと今書いているものとは、夫々の瞬間にボクの心の内にあるものの繋がりでなければならないが、ほんとにそう言い切れるのか?
 ボクの夫々の瞬間は、失意の時も高揚している時も、確とした共通項で繋がっていると言えるか?
 老い耄れのボクには長く残ってない時間である。その掛替えのない貴重な瞬間を、時の過ぎ行くままにしていいのか。
 何がなし広げた本の中に、読み飛ばしそうになる、素敵な一節を見つけた。