デカルトが言っている、「神自身も、起きてしまったことを起きなかったようにすることはできない」と。

 ミシェールは岐阜の多治見から1才になった春に我が家に来て、早いもので間もなく5年になる。取り戻すことの出来ない5年と言う時間を、ボクと過ごして幸せだったのだろうか。
 
 先程、ゆるりとトイレに腰掛けて『アラン:定義集』を読んで、同時に二つと存在しない時間、取り戻すことの出来ない、すべての変化すべての存在に共通な時間について、デカルトがこんなことを言っているのを知った。
 ボクが生存した78年も、ミシェールがボクのような人間と暮らして来た5年と言う時間も、もう戻っては来ないのだ。
『聖なる一回性』という言葉を思い出している。『たった一度しかない、この時』である。
 「ごめんよ」と、ミシェールを抱き締めてやった。でもボクはボクを抱き締められない。
 遠く後ろになってしまった、過ぎ去った数え切れない『聖なる一回』を、恨めしく振り返り振り返りするだけ。