百花繚乱とは、ちとオーヴァーですが、只今はカラフルな我が庭です。、

 朝6時、ミシェールと散歩して帰って来ると、いきなり大粒の雨。雨が上がって、庭の花々は洗われたように色鮮やか。カメラを向けました。

 大野城の桜は五分咲きで、日曜あたりが見頃でしょうか。天守閣までの桜並木をミシェールと一緒に登ります。麓にある幼稚園の子供たちが目敏くミシェールを見つけて、また歓声を上げることでしょう。
 今朝、FMで鮫島有希子さんが「ウサギ追いし、小鮒釣りし」と歌っていたが、ボクはボヘミアン。「ふるさと」と呼ぶものがボクにはない。
 出産のため福井の実家に帰省していた母は、横浜に一人いた父の体調が思わしくなく、生後1週間の乳飲み子のボクを抱いて、急いで横浜に帰らなければならなかった。
 以来、ボクは小学6年まで横浜で大きくなったが、東京の空襲が始まり横浜も危ないと、福井へ疎開することになった。
 そして高校を出るまで福井にいたが、ボクが大学に入ると同時に家族も大阪に引っ越したので、ボクが福井にいたのは、小学1年、中学3年、高校3年の7年間だけ。
 生れ落ちて11年間は横浜で、福井には7年間。物心がつく頃を横浜と福井に分断されて大きくなった。だから恋しいと思う「ふるさと」など、ボクにはない。
 横浜時代の学童仲間は一人もいなし、福井で中高校生だった頃の学友はいるにはいるが、「ふるさと」と言えるものとは無縁の存在である。
 だからボクは、この地球という星に棲む一人の自由人。日本人でありたいと思ったこともないし、「世界が平和な一つの村であるように」と願っている。
 だからひょいとグアテマラあたりに出掛け、そこが気に入って土地を買い家を建てたりを平気でする。6年前に大腸癌にならなかったら永住権も取得していたので、ここ福井のログハウスは子供に譲り渡して、多分グアテマラの国籍を取っていただろう。
 「それなのに、お前さん福井にいるは何でや」と、お聞きになりますか?
 それは又の機会にしましょう。