メイサートンは、「人の不幸を知っても何もしないことを『不自然な受動性』だ」と言う。

 ボクは日記をシステム手帳とブログに書いている。
 システム手帳は、子供が何かの記念のために買ってくれた、バーバリーの革製で立派なヤツ。お蔵入りをして置くのは「申し訳がない」と、使い始めて30年にはなる。
 大体、つまらないメモである。「預金を○円引き出したら残額が×円になった」とか「インターネットで××を注文」、「今朝はゴミの日、ダスキン掛けをした」だの、「ハイオクがまた○円に値上げ、タマラン」とか、主夫の生活臭がプンプン。
 今朝、メイサートンの『82歳の日記』を読んでいると、ボスニアサラエボに起きていることを知っているだけ、何もしない、何も出来ない、どうしていいかも分からない。こういう状況にあると、このことを忘れたい、意識から追い出して何か他の事にかまけたい、と言う誘惑に駆られるが、この「不自然な受動性」ほど、魂にとって危険なものはないと。
 ボクは大いに納得し心にグサッと鋭く突き刺さり、ブログには、これを書き留めている。