食べ物に旬がありますね。人間にも?

 ティオドー・W.アドルノを読んでいて、こんな箇所を見付けた。
 『大芸術家の晩年の作品に見られる成熟は、過日のそれには似ていない。それらは一般に円熟していると言うより、切り刻まれ、引き裂かれてさえいる。おおむね甘味を欠き、渋く、棘があるために、ただ賞味すればよいというわけにはいかない』と。
 そう言われれば、大作曲家の最晩年の作品には、顕著にその傾向があると思えるな。ベートーヴェンにもラフマニノフにも、その他の作曲家にも同じことが言える。
 食べ物に旬があるように、人間にも旬があれば、当然のことながら人間が創り出す芸術作品にも、旬があると言えようか。
 人生の旬をとっくに過ぎて、干乾びた果実のようになったボクには、アドルノの一撃は非情にして残酷である。