微かな雨音の中でシューベルトのピアノ曲が流れ、一雨毎に山里の秋は深まり行く。

 6時起床。雨が小止みになっているので、ミシェールと何時ものコースを小走りに往復して来たが、帰って暫くすると雨音がしてきた。「ミシェール良かったなぁ、雨に遭わずに」。
 朝一連の行事が終わり、ポリーニが弾く「シューベルト:ピアノ・ソナタ21番」を、プレーヤの皿の上に載せて、PCの前に座った。聞こえるか聞こえないかの、微かな雨音の中で聴くシューベルトは、格別なものと言うしかない。
 この1ヶ月と少しの間、自らが踏み込んだ泥沼の世界の中で裏切られ、失意のどん底に突き落とされたが、それはウロウロと足元の覚束なくなった老い耄れが、凄まじい人間社会に這いつくばって物乞いをして、しっぺ返えされた当然の報いではなかったかと思えるのである。
 シューベルト最晩年のピアノ曲を聴いていると、「ボクが落ち着くところは、もうココにしかない」と思う。別の言い方をすれば、「ボクには帰るべきところがある」と喜ぶべきでしょうか。
 年甲斐も無く足を踏み入れた「出会い系サイト」で、身に沁みて経験したことは、いずれお話しなければならないと思っています。