ヘッセの住まいの門口に、こんな告知文が掲出されていたと。

 昨夜来の15cmほど積もった新雪の上を歩くのは、けっこう草臥れる。今朝の雪道には動物の足跡を見なかった。
 朝6時の室内温度は7℃、エアコンのSWを入れ腰痛体操をして、食事をすれば7時を過ぎる。キリマンジャロを淹れ、シューマンのシンフォニーを聴きながら、ヘッセを広げた。
 ヘッセがノーベル文学賞を受賞した後のこと、次のような文章を書いて自分の住まいのドアに貼り出したことを知った。ノーベル賞を受賞したのが1946年であるから、1877年生まれのヘッセが70才を越えてからのことであろうか。
When a person has grown old and has done his all,it is his task peacefully to make friends with death.
He does not need other people.He knows them and has seen enough of them.What he needs is peace.It is not seemly to seek out such a person,to talk to him,to torment him with your chatter.At the gateway to his home the proper thing is to pass by,as if nobody lived there.

『ある人が年老いて、自分でやるべきことを成し遂げたときには、やるべきは静寂(peace)にあって死と友達付き合いをすることで、必要としているのは静寂であって人ではない。このような人を訪ねたり、お喋りで悩ませるのは作法に適ったことではない。彼の住まいの門口を、まるで空き家であるかのように通り過ぎるのが、礼儀に適っています』    
 ヘッセが本当に、こんな告知文を?! 

 ボクは「孤独をこよなく愛し、孤独に生きることに喜びを感じています」と書いたり、人に話したりすることだってあります。そう言いながら、人が訪ねて来たり、メールが届き、ブログにコメントを頂いたりすると、雀躍して歓迎し、食い入るように何度も読み返したりするのは、どうしたことでしょう。
 ヘッセとボクとの間に広がる、途轍もなく深遠な隔たりにボクは打ちのめされています。