79才になって(2)

 昨日、ブログに79才になったと書いたら、今や粗大ゴミのようになった老耄れに、何人かの方から「誕生日おめでとう」と祝って頂いて、面映く恐縮しています。有難うございました。
 この機会に、物心がついてから今日までの「自省録」のようなものを書けないだろうかと自問してみた。
 「『功なりを名を遂げた』わけでもなく、文才もない唯の塵芥のような人間が書くようなもの、一体誰が読む?」 
 「読むのはボク、ボクのために書く。もう取り返せない、ボクが過ぎ越してきた時間を、ありのままに並べ眺めてみる。ただそれだけ、意味など何もない。今さら意味を求めて何になる?」。
 と突き詰めたら、肩から力が抜けて書く気になった。
 先ずは「ボクは何を思い、何を信じて生きて来たか」、つまり思想信条からはじめましょうか。
ボクの親父は寡黙な人で、平素は殆ど家族とは話をしない人だったが、その親父が繰り返してボクに言ったことがある。
「嘘だけは言うな!」
「嘘を言うような人間にだけはなるな!」            
 親父の言葉でボクが憶えているのは、これくらいなものである。
 だから「ボクは嘘だけは吐かない」と、自らに固く言い聞かせ、その言葉は骨の髄まで浸透し揺るぎのないものになった。
 そのことで忘れもしないのは、終戦後6・3・3の教育制度が施行され、最後の旧制中学1年だったボクらは新制高校の併設中学3年生と言われたが、その併中3年のクラス会でのことである。
 クラスの担任教官から、「明日は校庭の草刈りをするから、全員、鎌を持って来るように」と言われていた翌日、鎌を持って来た生徒は誰もいなかった。
 それを知ったクラス担任は烈火の如く怒り出した。そして順番に「何故、持って来なかった」と詰問する教師に、聞いていた筈のクラスメイトは、揃いも揃って「聞いていませんでした」と答えるのだった。
 とうとうボクが答える番が来た。ボクは正直に「聞いていましたが、うっかり忘れました」と答えたが、「忘れるとは何事か!」と持っていた出席簿でボクの顔を殴り出した。大きな音がする割には痛くはなかったが、殴り続ける教師の目は異様に吊り上がり、一瞬「この先生は狂ってる」と思ったものである。
 嘘を吐かなかったために、皆の前で恥を掻き、痛い目にあったのだが、この事件には後日談がある。
 それから数週間が経ってからのこと、担任のボクを見る目が違うことに気が付いた。教室や廊下でスレ違うときでも、申し訳なさそうに下を向いて、顔を合わせないようにしているのだ。
 最初、そのわけは分からなかったが、そのうち「この先生、一言でもいいから『あの時は済まなかったね』と言えば、気が楽になるのに」と思ったものである。
 クラスメイトからは尊敬の眼差しを向けられるようになり、先輩を押し退け高1で生徒会長に推されたりしたものである。
 今から64,5年も前の青春の一コマだが、ボクには忘れられない思い出である。