「金環日食」だと大騒ぎになった日食より、ボクにはグアテマラで見た「皆既月食」が忘れられない。

 昨日の朝7時丁度の頃、ミシェールと朝歩きをしながら「皆既日食」を眺めた。日本中で観察されて大フィーバーになったが、ボクにはグアテマラで見た「皆既月食」の感激が忘れられない。
 明るい空の下で、ぎらぎら輝く太陽を肉眼でなく遮光フィルムを通して見る日食は、暗くて小さなスペースの中で太陽の満ち欠けを顕微鏡で一点凝視しているようで、2000年にグアテマラのアンティグアで見た、頭上一杯に広がる透き通った夜空に煌々と輝く月が,少しずつ欠けて行くのを息を凝らしながら見た感激とは程遠いものであった。
 あの時の感激の様子を、依頼されて或る冊子に投稿したが、その『グアテマラの月』と題した拙文をココに取り出してみた。
 
 『中米のグアテマラ共和国に、小さな家を建て永住権を取得して、北陸の暑い夏と寒い冬の間だけ、日本から脱出することにしてから早いもので5年になる。
 2000年1月20日夜9時過ぎ、雲一つない夜空に音もなく月が欠けていく。皆既月食である。ここでは1月だと言っても寒くはなく虫がすだき、日本で中秋の名月を見ているように、煌々と輝く月が下方から少しずつ欠け始め、40分もするとすっかり輝きをなくした薄すぼんやりの月が、生気もなく中天にへばりついている。
 太古の昔、マヤの人たちは一点の翳りもない空に、月が光を失くしていく有様をどんな思いで見上げていただろう。天変地異の予兆と恐れ慄き、目を閉じ耳を塞ぎ大地に平伏し「何事もなかれ」と祈っただろうか。そして時が過ぎ、恐る恐る見上げた空に月が元の輝きを取り戻しているのを見て、歓喜の声をあげ大地に感謝を捧げたことだろう。それが祈りの原初の姿でなかったか。祈ることを知り、祈りは適えられるものと信じたことだろう。
 ボクらは「月食」という現象が何故起きるのか知識として知っていて、その知識の前で夢もロマンも剥ぎ取られ、感動の喜びをも喪失して、クールであることが文明人の存在証明だと錯覚しながら生きている。
 月は西へ移動しながら輝きを増し、間もなく何事もなかったかのように中天に君臨し、その光は滴るばかり。この天が自ら演出する壮大な天空のスペクタルに酔い、言葉もなく呆然とパテオの中に立ち尽くしたまま、「ボクは間違いなく地球と言う星に棲む、一人の地球人だ」と確信したことを、何時までも忘れないだろう。』