秋は感傷的に物思いに更ける季節でしょうか。何故か「人恋しい」のです。

 夜来の風雨も止んで、朝からエントランスに散乱する杉の葉を拾い集めていると、妙に感傷的な気分になるのは秋と言う季節の為せる業でしょうか。
 昨日、実に久し振りに旧友から電話を貰った。「電話番号が変わったと言う知らせをもらっていたが、何処かへ見失って電話番号が分からず長いこと失礼していました。同窓会誌を見て番号を知り、電話をしています」と。
 ご無沙汰はお互い様のこと。4,5年ぶりになる懐かしい元気な声を聞いて、ほっとしている。犬好きな友人は「ミシェールを連れて遊びに来てくれよ」と言う。「そのうちにな」と返事をしたが本当に近いうちに、嘗ては名の知れた三国湊の回船問屋の末裔である友人宅を訪ねてみましょう。
 人と出会うと言えば、週に2回通うプールぐらいなもの。行きつ戻りつするグアテマラでの外国暮らしを切り上げて、読書と音楽を聴く自分一人の世界に閉じこもって、6,7年になる。「これで充足、もう他に何も要らない」と考えて来たが、久し振りに旧友と話をし、静かな秋の冷気の中で落葉拾いをしていると、「ボクには娑婆との付き合いが全く無くなってしまっている」ことを、今更ながら知るのです。
 秋が「独りで棲む寂寞感」を思い知らせてくれました。ボクは人と和むことのない毎日を送っています。「独りで棲んで充足した生活だと?そんな惨めたらしいことはないよ」と、秋が教えてくれました。
 夕方ミシェールと散歩に出ると、集落の野焼きの青白い煙が山の中腹にたなびいて、物音一つしなく静まり返る、暮れなずむ秋の山里です。