オトコの選択:年令に抗って何が悪い!?(Final)

 かっきり9時ですよ、可笑しいくらい。体内時計に支配されてしまいました。
 年令に抗って好き勝手なことを言うのも、今回で最後にします。
 ボクは今、こんな女性に巡り会いたいと願っています。
 ボクのブログに眼を通してコメントやメールをして下さる方に、何処かにそんな女性がいませんかとお訊ねしたら、「甘ったれるな!そんなこと自分でやれ」と、お叱りを頂戴しますか。年令に抗って「こんな女性がいい」なんて言ったら「抜け抜けと、よく言うぜぇ」と笑われますか。
 妻は五十で亡くなったので、ボクの中で生き続ける妻は何時まで経っても五十のまんま。ボクが道で会って目を留めるのは、きまって五十代の女性、「妻と同じ年代の人だな、妻はあんな年恰好だったな」と。
 あの頃の平均的は日本女性に較べれば背の高いスリムな人で、父親が早く亡くなり生活能力のない兄がいる母子家庭で、調理師と栄養士のライセンスを取得して家計を助け苦労をした人でした。生れ落ちてから心房中隔欠損症で過激な運動の出来ない人でしたが、男の双子を産み立派に養育してくれました。ボクが第二の就職先に転出することが決まり息子も就職して、妻として母親として責任の一区切りがついたと考えたのでしょう、老後の健康な生活を願って心臓手術を受けたのですが、術後二日も経たないうちに集中治療室で絶命しました。
 モーツァルトがどうのバッハがどうのとは一切言わず、ボクの横で黙って音楽を聴いているだけ。英語の素養もなかったと思うのですが、ボクが読む"Japan Times"を時々覗き込んでました。慎み深く寡黙で、人に親切な人でした。
 そんな妻によく似た女性はいないでしょうか。英語とスペイン語を少し理解しますので、人種をも問いません。ただ願わくば、今なお現役の人。職業を持っている、あるいは何か技能を持って頑張っている人がいい。経済的な理由からではなく、山の中に蟄居しているボクに、実社会で生きる人から「今日は、こんな嫌なことが、こんな嬉しいことが」などと、浮世のシガラミの話を聞かせて欲しいと願うからです。ボクはきっと刺激を受けるに違いありません。毎日でなくても週1でも会えればいい。
 「待っているだけでは、理想の女性には出会えませんよ」と言う、励ましのメールを下さった方がいますが、ボクには手掛かりになるチャンネルが何もなくて。
 世界の何処かにボクが理想とする女性は必ずいます。きっといると信じています。