オトコの選択:年令に抗って何が悪い!?(3)

 朝9時がコーヒーを淹れてパソコンの前に腰掛ける定刻のようになった。
 年令に抗って幾つになってもドロドロと人間らしく生き、死ぬまで斯くありたいと願うボクの「いきざま」を、もう少し続けましょう。
 妻が逝って25年間オンナ気なしに生きて、もう欲しい物は何もないし妻との思い出だけをヨスガに、ゆるりと残る生涯を送りましょうと思って来た。
 福井へ移り住んだ1,2年の間、いろんな女性が我が家を訪ねて来たが。
 親類縁者には「福井の山里にログハウスを建てて、独り暮らしをする」と知らせたが、お知らせもしなかった女性から「素敵なログハウスを建てられたとか、一度お伺いしてもよろしいでしょうか」と電話があり、5,6人もの女性がやって来た。教会でオルガンを弾いていた人、妻が通っていた篭を編む教室の先生、パッチ・ワークの教室で知り会ったという人とか、多くはボクの知らない人である。
 「ボクの電話番号を、どうして知りましたか」と訊ねることもできず、ボクが独り住まいであるのを承知の上で来るからには、よもや泊まって帰ることはないだろうと迎え入れることにしたが、近くに旅館やホテルもなく夜になれば泊まってもらうしかない。ハナから泊まるつもりで来たのだろうか。中には「元は宝塚ジェンヌか」と思えるような素敵な人もいて、妻の没後6年の未だ悲しみの消えやらぬ頃で、妙齢の美人と二人きりの夜を過ごしても何事も起きなかった。今ならそうはいくまいな。
 女性と幾らかでも係わったかと思えるのは、それくらいなもの。グアテマラの7年間は見るもの聴くもの皆珍しく、女性など眼中になかった。
 何時頃からからでしょう、ボクに女性が必要だと思うようになったのは。何もかも充足しているようでボクの何処にぽっかり穴が開いている、それを埋めてくれるのは女性の存在だと気付いたのは。
 10年前の2003年、大腸癌の手術のためグアテマラから急遽帰国し、2005年にはグアテマラの持ち家を手放して、これからは日本の此処が終の棲家、時々は外国に暮らすという夢はあっても、それは旅行者としてであって腰を落ち着けて生涯を全うする処は、此処にしかないと思うようになった。国籍も要らない地球人として、世界の彼方此方を徘徊して「人生、至る所に青山あり」とする人生を送りたいと思って来たので、心の何処かにポッカリと穴を明けながらも、いつも独りが身軽でフットワークも軽やかでいいんだと思って来たのだが。
 近頃は、コーヒーを淹れればボクの横で一緒に飲んでくれる女性がいたらと思うし、こんな音楽は好きな女性と一緒に聴きたいなと思う。「素敵な女性が助手席にいる」と想像しながら車を運転したりする。ボクは好きな女性となら今も性行為が出来る(と思う。長いことそんな機会がないけど出来るでしょう)が、やがてボクにも泉の枯れる時が来るかと思えば悲しくなる。