女の柔肌に触れもせず、これで終わるのか!?(2)

 ボクはこちらに移り住んで20年になるが、殆ど世間とは没交渉で過ごして来た。最初の5年は月1回開かれる集落の集まりに出席していたが、減反だの肥料だの、ボクの暮らしに関係のない話題ばかりで、だんだん足が遠のいて行かなくなってしまった。集落は13,4軒の農家の集まりで、勤めに出て行く若者が一人いるが、残りは足元も覚束なくなった年寄りが田圃の草刈をするだけの、所謂「限界集落」である。花を生ける、盆栽をする、俳句を詠む、書を楽しむ、と言った趣味のある人は一人だっていない。ボクが話し掛けようにも話題とてなく、道で出会っても「寒い」の「暑い」のと、時候の挨拶をするぐらいなもの。役場の寄り合いに出たこともない。
 
 社会との窓が開かれているのは、2年少し前から始めた週2回のプール通いぐらいか。60才以上の爺婆クラスで1時間15分、歩いたり跳ねたり泳いだりするが、ボクが所属する初心者クラスは多い日で12,3人、そのうち爺は時々来る二人とボクと合わせて三人だけ。婆さん連中は体より口のほうがよく動くが、くだらない噂話ばっかりでウンザリ。プールに通う60を超えた、田舎の教養のない爺婆に、インテリジェンスを求めるほうが無理と言うものだろう。もう少し若くて知的は集まりなら、心の琴線の一つも触れ合って楽しいこともあるだろうに。更にボクはこちらの方言が理解できなくて、何を話題にしているかは分かるけど、細かなニューアンスになると丸っきり分からず、彼らのお喋りに参加することなく大方はダンマリを続けている。メンバーの半数とは一通りの挨拶はするが、興味を繋ぐ話題に乏しく、プールが終われば隣のスーパーで食材を買ってそそくさと帰って来る。ボクのブログにコメントを寄せて下さるのも東京など遠方の方ばかり。近郷近在の人はボクのブログに目も留めないのか、コメントするに値しないと黙殺されているのか。

 妻の思い出と暮らし、妻以外の女性には目もくれず、女性と親しく交わる機会を逸して女を知らず今日まで生きて来た。そんなボクに親友が再婚の効用を説き、再婚するよう掻き口説くのである。お目当ての女性を探し当てるすべもないまま、ボクはグラグラと揺り起こされた。

 妻は五十で亡くなったので、ボクの中にいる彼女はいつまで経っても五十のまんま。だから街で五十代の女性が目に留まり「あいつと同い年ぐらいの人だな」と不躾に眺めたり。こう言うのを「年甲斐もなく」と言うのだろう。

 音楽とコーヒーがお好きで、フットワークも軽やかに我が家を訪ねて下さる、明るくて気さくな女性と心の糸を紡ぎ合わせていけたら、どんなにか楽しいだろうと思う今日この頃である。