卒業して60数年、母校の変わりように愕然として。

 昨日、卒業以来行ったことのない母校を60数年ぶりの訪れ、その変わりように愕然として帰って来た。
 ボクは昭和27年、三国町にある県立高校を卒業した。本当に好きに過ごした高校時代だった。新聞部にいたし演劇部にも暫くいて、生徒会長もした。進学に見事失敗、京都の予備校に通うため「百万遍」近くの下宿で、同宿の先輩連中からボクの将来を決めるような影響を受け、生々流転の挙句、今は福井の山里で終りの日を迎えようとしている。
 
 その母校にミシェールと一緒に行って、学校は全く同じ場所にあるが学舎の余りの変わりように、愕然としている。

  

 正面。ボクらの時の木造の平屋とは丸っきり違う鉄筋3階建ての立派なものである。ボクらはS21年9月の災禍によって学校は消失し、他所から引っ張って来た木造平屋建てのカマボコ型の兵舎で勉強したものである。

 正面入り口の直ぐ側に、「三好達治」作詞の校歌の歌碑が建てられている。ボクの記憶違いでなければ、この歌碑は僕ら同窓会(「三志会」)が寄贈したものと聞いていたが、その由来を記するものは何もなかった。
 
  

 運動場から裏山を見れば、あれ懐かしや、古びた3本の国旗掲揚塔が昔のまんまのところに立っているではないか。全てが変わってしまったなかで、昔のところに昔の姿を残す国旗掲揚塔である。

  

 運動場から校舎を見れば、野球のバックネットだけが同じところにあるが、ボロ校舎の面影はなくキレイなコンクリート造りの校舎が並んでいる。

  

 正門前には、僕らの時から空き家だった家が、朽ち果てそうになって残っていて驚きであった。

  

 ミシェールを連れて行ったので、そこいら辺を歩き回れずに帰って来たが、今度は一人出掛けて、ゆっくりと三国の街並みなどを写真に撮ってみたい。