「死者に捧げる供え物」。

 我が家の東に見える800m程の山は、紅葉の真っ盛り。

 ヘッセのエッセイ集『人は成熟するほど若くなる』(草思社)の中で見つけた一節。
 「死者に捧げる供え物は、私たちの追憶によって、この上もなく正確な記憶によって、愛する人を私たちの心の中によみがえらせること。私たちがこれをなし得るならば、死者は私たちとともに生きつづけ、死者の心象は救われ、私たちの悲嘆が実り多いものになるように協力してくれる。」
 さらに、こんな一節も。 
 「去ってしまった者たちは、彼らがそれによって私たちに影響を与えた本質的なものをもって、私たち自身が生きている限り、私たちとともに生きつづける。多くの場合、私たちは生きている者とよりも、死者とのほうがずっとよく話をしたり相談したり助言を得たりすることができる」と。
 ボクは納得、心底から納得する。
 妻はボクの心から捧げる供え物を受け取って、彼女の本質的なものでもってボクの中で鮮やかに生きている。もうボクには自分がコミニティーの一員だと言う意識はなく、近隣の人とより妻と話をすることのほうが多いし、彼女は誰よりもボクのためを思って助言をしてくれる。
 ボクも老いて、成熟し、そして若くなったか。