「メイサートン:82歳の日記」から(1)

 11月最後の日曜日、朝から時雨れて寒い。来週には時雨が霙に変わるだろうな。

 

 昨日、ミシェールとする散歩の途中、近くの神社の銀杏が見事に黄葉しているので写真を撮った。パソコンに取り込んでアップ・ロードしてみると、僅かながら抜けるような初冬の空が写っていて、あの見事な青空こそカメラに収めるべきだったと思っている。
 雨のこんな日にはハイドン弦楽四重奏曲に限ると、ハイドンを聴きながら、メイサートンの「82歳の日記」を読んでいて、こんな1節が目に留まった。
 『ある冬のこと。下校の途中で、雪の中に5ドル紙幣が落ちているのを見つけ、拾って母に話した。すると母は、ケンブリッジアガシ通りにある近所の家を全部訪ねて、ひょっとして5ドル失くさなかったか、訊いて歩きなさい、と言う。さいわい、誰もそんな人はいず、5ドルは私のものになり、それでインディアン・ペーパー製のキプリングの『詩集』を買った。大きくて、とても重い本だった』。
 ここを読んで、「ボクにも似たようなことがあったな」と、中学生の頃の、ほろ苦い出来事を思い出した。
 午後の何時だったか、近所の韓国人の小さな子が、「今、何時ですか」と我が家に時間を訊きに来た。ボクは柱時計を見上げて、「何時ちょっと前」と、その子に言った。その様子を見ていた父が、「ちょっと前じゃないだろう?15分も前ではないか!速く行って、そう言い直してきなさい」と言われ、そんなこといいじゃないかと思いながら、その子に追いついて「今は、何時15分前だよ」と伝え直したことを、思い出した。
 ボクは親として残念だが、我が子にこんなことを教えた記憶はない。