「メイサートン:82歳の日記」から(2)

 昨晩、遅くなって帰って来たが、イルミネーションが輝いていて、誰もいないはずの我が家に誰か居るみたい。

 メイサートンは82歳の夏、日記にこう書いている。
 「私は今、ほんとうの老齢期に踏み込みつつあって、その移りゆく困難なときに、この日記を書き始めている。75歳の頃はもっといろんなことができたと思う。ところが、ものの置き場所を忘れ、友人たちの名前、花の名前すら忘れ、真夜中にここに書こうと思うついたことを忘れ、たくさんのことを忘れて、ときに混乱におちいり、私は衰えていく。シャツのボタンをかけるという小さなことから、どのようにしてあと数編の詩を書くかという大きなことまで、きりのない煩わしさをどうこなしていくか。それが今の私の問題。」
 82歳には少し間のあるボクにも、もうとっくに老齢期は来ており、メガネの置いたところを忘れ、財布を忘れて外出したり、夕方に電気毛布のSWを入れ忘れて冷たい布団に入らざるを得なかったり。
 アランは「知覚するとは常に思いうかべることだ」と言い、「知覚のうちには、いわば暗黙の記憶がある」と言う。
 そうだろうな。子供の顔すら忘れてしまうことは、我が子を我が子と知覚できなくなったことだ。悲しいな、ボクもそうなるのか。