ブログとは自らを写す鏡のようなもの。

今週のお題「ブログと私」
 凄まじき宮勤めをしていた頃、役職に就いた「お祝いだ」と、二人の息子が金を出し合って、バーバリー製の立派な総革装の「システム手帳」を買ってくれた。それ以来、日記を書き続けて40年。ブログに日記を書くと知って、早いもので7年になる。
 ルーズノートのシステム手帳に徒然と書く日記と、ブログに書くダイアリーとは何がどう違うのか。ブログには日記を書く自分の姿が、鏡のように透けて見えて来る。単に心に去来するものや出来事をメモするものではない。
 ブログに書く日記は、ボクの生涯における今日という「聖なる一回性」の、紛れることのない記録なのだ。コメントを貰ったこともないし、トラックバックがあったわけでもない。チャラチャラした見当違いのコメントなど見たくもないが、誰かがボクを見ている前で、自らの「聖なる一回性」の記録を書き残すのだ。
 そう思ってボクはブログを書く。苦心惨憺して書き上げたものを抹消したり、気が乗らないで途中で投げ出したり、立派でもない人間が立派なことを書けるわけはないし、自分を偽ることだけはしないと心に決めながら、書き終わって読み返せば粉飾に塗れ嘘っぽいことばかり書いていたり。
 ブログにはボクが投影している。嫌なボクも、愚かなボクも、哀れなボクも、ときには頑張るボクも、みんな写り出されている。ブログはボクを見てペロッと舌を出したり、プイと横を向いたり、ときにはボクを洗浄してくれたり。
 ボクはブログと共に生きてます。