「10年後の自分へのメッセージ」(final)

 亀山城の麓に復元された時鐘。上には半鐘がある。


  
「寄る年波には勝てない」。悔しいけど半分は当っているな。身体能力・記憶力・判断力が低下し、それにボクに顕著ではないかと思う「社会性の欠落」が、年々目立つようになった。兎に角、独りでいることが良くなった。人と調子を合わせて付き合う苦労より、亡くなった妻と語らい、本の世界に埋没し音楽に包まれて、孤独に居る方がよっぽど良い。
 その一方では、本を読む楽しさ・音楽を聴く喜びを、若い時分とは比較にならないほど感じるな。昔読んだものを読み返すと、必ずと言っていいほど新しい発見があり、聴きなれた音楽も聴く度に、新しい感激があり喜びを感じる。俗に言う「酔い痴れる」ではないが、時間の過ぎるのを忘れさせるものが手近にあるのは嬉しいことじゃないか。
 10年後のお前に『元気でおれよ』と言うのは、『衰えていくものを、繋ぎ止める努力を怠るな(「同じように4キロを40分で歩け」とは言わないが、「もう腰が痛くて歩けない」なんて情けないことだけは言うな)、年を経て手に入れたものを、磨きをかけて大事にせよ』と言うこと。
 しかし良く考えてみると、「10年後の自分へのメッセージ」とは、「10年後も、かくあるためには、今をどう生きるか」と言う、今の自分へのメッセージだと気が付いた。
 これこそ発案者の狙いなんだな。「まいったな、もう!」。