昨晩、TVでハイネの特集を観て、久しく「ローレライの歌」を聴いた。

 
 ボクはハイネを「青春の愛を歌う抒情詩人」だと思って来たが、昨晩の特集を観て認識を改めさせられた。
 デュセルドルフの貧しいユダヤ人として生まれ、19世後半のヨーロッパの政治・経済・社会の激動する中にあって、リート詩人であり恋愛詩人であると同時に革命詩人でもあったハイネは、あらゆる束縛から自由であろうとする欲求を持っていた。
 ボクはハイネの持つ多面性の、ほんの一部しか知らずに年老いて来た。ハイネ詩集を紐解けば、青春の愛と苦悩を歌うだけの詩人でないことが良く分かる。
 ボクは「ローレライ」のドイツ語の最初の1節を、未だに諳んじている。
 60年を超える昔、20人ほどの小さな教室で教わったドイツ語の教室風景が、昨日のように思い浮かぶ。 

  Ich weiz nicht, was soll es bedeuten,
Daz ich so traurig bin;
Ein Marchen aus alten Zeiten,
Das kommt mir nicht aus dem Sinn.

 「何故にこう悲しいのか
 我ながらわけが分からず、 
 昔の伝説が
 心について離れない」

  ドイツ語を習いたての学生が訳すとこうなるのか。

 しかし僕等には、子供の頃に口ずさんだ『近藤朔風の名訳』がある。

 「なじかは知らねども心さびて、
  昔の伝説(つたえ)はそぞろ身にしむ。
  寂しく暮れゆくラインの流れ、
  入日に山々あかく栄ゆる。」

 「美(うるわ)し少女(おとめ)の巌頭(いわお)に立ちて、
  黄金(こがね)の櫛とり髪のみだれを、
  梳(と)きつつ口吟(ずさ)ぶ歌の声の、
  神怪(くすし)き魔力(ちから)に魂(たま)もまよう。」
 
 「こぎゆく舟びと歌に憧れ、
  岩根も見為(みや)らず仰げばやがて、
  浪間に沈むるひとも舟も、
  神怪(くすし)き魔歌(まがうた)謡うローレライ。」
 
ローレライ」を聴きましょうとCDを取り出した。
 鮫島さんが優しく歌う「ローレライ」を聴いていると、熱いものがこみ上げてきて、冷たくなったコーヒーカップの上に滴り落ちた。
 
 雪に埋まって、物音一つしない山里の昼下がりである。