「無作法な人間は一人でいる時も無作法である」と、アランは言う。

 正午過ぎ、晴れ渡った空の下で着雪した裏山と杉林が美しい。
 
 

 『無作法な人間は一人でいる時も無作法だ』と言われて、ボクは返す言葉もない。
 さらに『茶碗一つ手にもつその持ち方に、いかにその人の気品が出るものかわかる』と言う。
 ボクは冷蔵庫の扉を足で閉めるな。両手が塞がっているとドアを後ろ足で閉めたり、食事中に尻を上げて放屁はするわ、箸やフォークがないと手の埃を服の端で拭って、手掴みで立ち食いしたりもする。汁碗など2本の指で挟むように持ったり、ズルズルと音を立てて茶を飲んだり、鼻糞をかっぽじって窓の外へ弾き飛ばしたり、品がないこと夥しい。
 しかし人前では「俺はマナーを守る人間だ」と、仮面を被って乙に澄ましている。孫がそんなことをしようものなら「何と行儀の悪い」と叱りつけるのに、一人でいる時は平気でやる。「誰も見てないから、いいじゃん」である。
 『礼儀作法とは、身についた物腰であり、ゆとりである』。
さらに続く。
『優雅な物腰とは、表現と動作の安らかな幸福である。それは誰も傷つけることのないもの、誰をも不安にすることのないものである』
『幸福になるためには、この種の美点をそなえることが、極めて大切だ』と。
 年老いて薄汚くなった爺は、だんだん無作法になっているが、「幸せに生きている」とは、どういうことか、根源から考え直そう。
 ボクは、もうちょっと「シャキッと」背筋を伸ばして生きていなきゃ駄目だ。