生き延びて3月を迎えた。生ける喜び!

 今年も前の年と同じように、最初の日が雨の3月が来た。78才になって迎える3月。よくぞ生き延びたものだ。この命、無駄にしてはなるまいぞ。

 ヘッセの『人は成熟するにつれて若くなる』の中に、こんな詩がある。

 『どんな花もしおれ、どんな青春も老人になるように
 どの人生の段階も花咲き、知恵もそれぞれ花咲く
 どの美徳も決められた時に花開き 永遠に持続するすることは許されない
 心はそれぞれの人生の段落ごとに 別れと新たな開始のために準備をしなければならない
 
 私たちは朗らかにひとつずつ段階を通り抜けるべきである
 どの段階にも故郷のように執着してなならない
 世界の守護神は私たちを縛りつけ窮屈にする意思はない
 それは私たちを生の段階ごとに高め 広げようとする
 
 私たちがひとつの生活領域に慣れ親しみ くつろぎを覚えるやいなや
 衰退の危機がさし迫る
 出発と旅の用意のある者のみが 麻酔的な習癖から身を振り解くことができる
 あそらく死の時が 私たちを若者として新たな段階に送ってくれるだろう
 私たちへの生の呼びかけは決して終わらないだろう
 さあ 心よ 別れを告げよ 元気を出せ』

 『段階』と題されているが、タイトルなど不要でしょう。ヘッセがエッセイ集『人は成熟するにつれて若くなる』で言いたいことのエッセンスが、この詩に凝縮されている。
 弥生3月を迎え、ボクは一皮めくれて、春らしい元気な第一歩を踏み出さなくてはならない。今日は、そんな、眦を決する日にしなくてはならない。

 誰からいただいたものか忘失してしまっているが、到来物の木彫りです。