ガレージの屋根雪が消えた。スタッドレスタイヤを履き替えましょうか。山里にも遅い春が来た。

 続く春雨にガレージの雪は姿を消した。

 日記を見ると、昨年11月の中旬に普通タイヤからスタッドレスタイヤの履き替えている。4ヶ月お世話になったスタッドレスを、今週中にはお役ご免としてやりましょう。
 
 平素から環境保全とかエコとか言ってることと矛盾するが、今乗ってる軽自動車を2,000ccクラスの輸入車の中古に乗り換えようかと考えている。
 ボクは40年近く左ハンドルのMT車に乗ってきた。6年前、車の買い替えの時が来て、一人乗りの車を随分探したがオモチャのようなものしかなく、二人乗りの軽自動車で辛抱することにした。
 どれもこれも同じ顔をした日本車の中で、珍しくキャラクターを持った軽自動車のオープンカーである。品よくコンパクトにまとめられ、フォルムも穏やかで気が利いているが、暫く乗ると、『安くて見栄えが良ければいい』と言う日本車独特ののコンセプトが鼻に付き出し、日本文化の底の浅さのようなものを感じて、すっかりイヤになってしまった。
 「車は単なる移動の手段だろう?エコだ、エコだと言うお前は自己撞着していないか」と批判されそうだが、ボクみたいな人間にもテイストというものがある。
 
 ボクは『車ほど、その国の文化を色濃く映し出しているものはない』と思っている。
 ドイツ車はドイツ文化を象徴していないだろうか。質実剛健と言わないまでも、野暮なくらいクラフトマンシップに徹底し、日本車のゾンザイな作りと違って、そこまでやるかという物作りのコダワリというか良心と言うべきものが感じ取れる。
 フランスの車はフランスの顔をしてる。お洒落で少しキュートで、矢張り何処とはなしにエスプリがある。イギリス車には、今も昔も、どんな車にも、ジョン・ブル精神のごときものが満ち溢れている。
 そしていずれの国の車も丁寧に作られている。一方、日本の車はコストダウンが狙いのため、材質はお粗末、作りは真にゾンザイ。伝統の国・日本の匠の技なるものが、車作りには息づいていない。そんなものとは無縁の、不毛の工場で日本の車は作られている。
 
 40数年、左ハンドルで運転して来たので右ハンドルは、どうも苦手。
 トルコン(今はオートマティックと言うのか)にも乗ったことがない。アクセルを踏んだだけで走る車なんて、堕落してはいないか。シフト・ダウンの楽しみを知らないのだろうか。
 正月、大型のベンツに乗って遊びに来た友人に
 「立派な車にしたんだな」と聞くと、
 「なあに、ユースド・カーだよ」と言う。
 乗り込んで見ると新車同然まことにキレイ。ボクは貧乏なくせに新車しか買ったことがない。
 「こんなにキレイなら新車を買うことないな。ただ、故障したりするのは敵わんしな」。
 「お前は何も知らんな。インターネットで検索してみろ。信用できる中古車は目白押しだ  よ。中古車センターの信用に関わるから、いい加減な物は売らないよ。スペックを検討して 自分の責任で選べばいい」
と言われて、すっかりその気になっている。