ミシェールと暮らすとは、意思と感情と尊厳とを併せ持った生き物と共生することだと、心得えましたね(1)。

 昨日の昼過ぎ、曇り空に日が差して明るくなって来たので、「明日、水曜日はパン屋さんはお休み。今頃は食パンも焼けた頃でしょう。ミシェール、ブーブーで出掛けましょうか」と話かければ、車に乗って何処かへ行くと分かるミシェールは、跳びつくようにしてボクの後ろから付いて来る。
 ガレージから車を出したところで写真を撮った。

 体全身から喜びが溢れるミシェールです。

 1才2ヶ月になった春3月、ミシェールは若いカップルのブリーダーさんに連れられて、岐阜の多治見から我が家にやって来た。あれから早いもので5年である。
 両親も祖父母も、そして曾祖父母まで、CH(Champion)である、まるで金無垢の飾りが付いたような『血統書』を持参して現れた、顔には未だあどけさが残っているが、既に今と余り変わらない巨漢に圧倒されて、一瞬たじろいだ記憶がある。直ぐ獣医さんに計測してもらったが、体高78cm、体重50kg、馴染みの医者は「こいつ、でっかい奴だなぁ」と感嘆の声を上げた。
 名前は我が家に来る前から、大天使ミカエル(その当時ボクは50年来のカソリック信者だった)をフランス読みして、「ミシェール」と呼ぶと決めていた。
 同じハウンド系のアフガン・ハウンドを2年間ほど飼っていたので、飼育に戸惑うことはなかったけれど、静かでオトナシイところは似ていても、ボルゾイは喜怒哀楽の感情表現が控え目と言うか、真に素っ気ない。
「嬉しいときは、もっと喜んでくれよな」と言いたくなるくらい控え目。大抵の犬は食事時など、あらん限り尻尾を振って纏わりついてくるものだが、「うん、食事か」といった感じである。