ミシェールと暮らすとは、意思と感情と尊厳を併せ持った生き物と共生することだと、心得ましたね(2)。

 天気予報の通り、昼には雨になると予感させるような朝、ミシェールは食卓の上に何か見付けたようです。

 うちへ来た数ヶ月の間、感情表現の控え目なミシェールに「恐ろしく愛想の悪い奴だな」と思ったものだが、そのうちボクにも環境にも慣れて変わって来るだろうという期待も空しく、何事にもクールで物静か、端正な顔付きの奥にある感情の起伏を、ボクは読み取ることができなかった。
 ところが5月の連休に、孫たちが遊びに来て彼らと戯れるミシェールを見て、「こいつは、そこら辺にいる犬とは行動パターンが違っている犬種なんだ」と、気が付いた。
 ドッグ・フードを食器に入れた音を聞いただけで、大方の犬は千切れんばかりに尻尾を振って、涎を流さんばかりに駆け寄って来る。犬とはそれほどに喜びを表現するものだと思い込んで、控え目な反応を「愛想が悪い」と思って来たボクは、大変な間違いをしていたと気が付いて、ほんとに愕然とした。
 人間にシャキシャキしたのもおれば、のんびりとスローモーなものもいる。慌てる奴がおれば落ち着いたのもいる。犬にもいろいろいるのは当たり前、こいつはこういう特性を持った犬種なんだと思って観察すると、だんだん見えないものが見えて来た。愛想が悪いのではないく、ボクが気づかなかっただけのこと。
 目まぐるしいほど尻尾を振ったりはしないが、長い尻尾を僅かながらゆさゆさと動かしているし、食器にドッグ・フードを入れる音を聴いただけで、飛んで来たりはしないが、食台に食器を載せて「さぁ、おいで」と言えば、走り寄ってくる顔に喜びの色が見て取れるではないか。ガツガツと、食器からこぼしながらは食べたりしない。一つ一つのドッグ・フードを、舌の上で転がすようにして食べる。食事作法の知らない人間に、見習わせてやりたいくらい。
 「愛想のない奴」ではなく、感情表現がゆったり、それがこの犬の行動パターンと分かってからというもの、ミシェールはボクの中で、無愛想な素っ気ない犬から、足が速くて狼狩りに使役されていたほど俊敏でありながら、優しく物静かで優雅さを兼ね備えた、『貴公子』に一変した。
 ボクは何と思慮の浅い、節操に欠けた人間でしょう。「小人養い難し」とは、こう言うのを評しているのでしょう。