血統なんて存在しない、だから犬にも血統があるわけがない(1)

 夏日が続き、厳寒のロシアにルーツを持つミシェールには、ツライ季節の到来である。

 血(血液)とは、脈の中を流れる赤色の液状物で、全身の細胞に栄養分を運搬し老廃物を運び出す媒体で、DNAや遺伝子の格納庫ではない。それが証拠に、DNAのサンプリングは口の中の粘膜から摂取する。
 ところが人間は、この血(血液)にドロドロと特別の意味付けをする。曰く「血は水より濃い」、曰く「血を分ける」「血のつながり」「血の結束」、それに「家系」だの「血縁」だのと枚挙に暇がないが、世代を超えて生理的に「血」が繋がっているわけがない。単にDNAの、遺伝子の、「系」あるいは「系列」に過ぎないものを、「血統」だの「血縁」だのと、格別の意味を塗布するのだ。
 生理的あるいは動物的に使われる以外の「血・血液」は、人間の手垢に塗れている。
 日本人とドイツ人の間に生まれた子は、「血が混じっている」、ときには「混血児」と言う。血が混じるわけがないじゃないか!ボクは『混血児』と言い方も、その言い方に現存する差別意識も、絶対に許さない!
 国が違えば「外国人」、外国人との間に生まれたら「混血」、皮膚の色が違えば「異人種」(我々とは人種が違う)と言う。
 有名な評論家などが「彼は○○人の父と、××人の母を持つので、彼の作品には○○的なところと××的なところが、渾然一体となって見られる」と、実しやかにおっしゃるのだ。つまり混じ合った血の為せるものだと。したり顔してバカ言うんじゃない!
 ボクはボルゾイのスタンダードな骨格を持った、巨漢で、被毛の色はこれでと、希望の全てを伝え、6ヶ月と言う時間をかけてミシェールを探し求めた。
 ペットショップで見かけ、気に入ったので買ったという人が多いでしょうね。特に女性に
多いのでは。
 男は女性のように情緒的にはいかない。将来どんなボルゾイになるか親を見てみたいとか、どんな血統か(此処では分り易く、敢えて血統と言う表現を用いるが)知りたいとか、顔形も良く、一番元気があって運動機能にも問題がなさそうとか、いろいろ詮索するものです。
 女性が持っている美的な感性と優しさと、ゴリゴリした男社会の中にいる男性の思うところとは、違っていて当然でしょうね。この世の絶妙な取り合わせですよ。