血統なんて存在しない、だから犬に血統があるわけない(2)

 ミシェールが我が家に来た時「コレが血統書です」と手渡されたが、アメリカ風に言い直せば"Family Trees",直訳すれば『家族の木』と呼ぶべきドキュメントである。これを「血統書」と言ったり、人間ならば、唾棄したいような『家』というコンセプトを付けて、「家系図」などと呼ぶ。
 『家族の木』という言い方、開けてていいじゃないか。
 曽祖父母(もっと先代からでもいい)という幹から、祖父母そして両親と子供と枝別れして、大きな家族の集団という木が立っている。そこには「血」だとか「家」とか言う、手垢に汚れた概念をイメージさせるものは何もない。
 我が家に到来した『家族の木』から、ミシェールのルーツが知れる。両親がこうで、祖父母と、その先の曽祖父母がこうでと、その中にCH(Champion) でもおれば、おおよその体型や毛並みも分かり、「うん、これこれ」ということになる。
 犬を飼う人には、ボクのように骨格や体型に拘る人もおれば、「可愛らしかった」とか「薦められたから」とか、「折角頂いたのだから大事にしなければ」と、飼う動機もいろいろなら、可愛がり方もいろいろ。
 どう見ても見栄えのしない貧相な犬でも、「こんな可愛い犬、何処を探したっていやしない」と、あらん限りの愛情を注いで、目の中に入れても痛くない可愛がりようの立派な飼い主がいる。
 その一方で「飼った当座はもっと可愛らしかったのに、こんなにみすぼらしくなって」とか、「言うことをちっとも聞かない」と言って、捨て犬する人もいる。
 こんな人には犬という生き物と共生する資格はない。
 ボクは今日、この写真をブログの壁紙にして、暫くは眺めて暮らすことにした。