胡瓜をいただいた。ビニール栽培のものとは違って、イガイガが一杯。

 今朝、デッキで朝食をしていると「顔を見たので胡瓜を持って来た」と、我が家の真正面の田圃の持ち主が、胡瓜を持って来て下さった。
 見ればスーパーなんかで買うものとは違って、表面に凹凸があり白いイガイガが付いている。今晩、早速サラダにして頂くことにしますか。

 先程、メイサートンのエッセイに素敵な一節を見つけた。
 『若いときならではの楽しみがあるように、人生の半ばを過ぎての楽しみもある。若いとき、ひなげしの花びらを通して輝く光に心を奪われる時間があったろうか』。
 サートン55才の一節である。
「サートンは80を超えても、瑞々しい感性を持っていた」と言う人がいるが、『82歳の日記』を読むと、ボクには一人のガレタ孤独な老婆としか映らない。
 ボクの55才は、遥か20数年前に通過してしまったが、55才のサートンが言うように
『外界は単なる感情の広大な反響に過ぎないが、中年の人は白い壁にまだらにうつる午後の光りさえ、天啓と感じるかもしれない』と言う、そんな中年のままで生き続けていたい。