『66年目の敗戦の日』、残る人生を反テロ・反戦の揺ぎない信念で生き抜くことと覚えたり。

 今日は『66年目の敗戦の日』。ボクは「終戦」とは決して言わない。無益で大儀のない戦争を仕掛けて、数え切れない程の命を失い、日本中が焼け野原になって敗れた日ではないか。
 昨日、近くのスーパー(ショッピングするも大変な僻地で、広大なアメリカのようにスーパーでの買い物は、数週間分の纏め買いかと案じていただいた方がいるが、我が家から10kmとは離れていない城下町「大野市」には、鄙びてはいるが一応は何でも揃うスーパーが数軒ある)に、食糧の仕入れに行った。そのとき行き交う車に他府県ナンバーが多いので、「民族大移動のシーズンが到来したな」と気が付いた。
 帰宅して、「TVを観ず新聞も読まず、周りとは没交渉、読書と音楽三昧、無宗教で盆も正月も関係なく、世の移り変わりにも無関心のようだが、お前さん、これでいいのか?」と自問してみた。
 「良いも悪いもコレしかないのだから、信ずるところに揺ぎなく生きていましょ」。
 「ボクにも『戦争反対!テロはやめなさい!』と声を上げることぐらいはできるし、やれることの一つや二つはある」。
 「世間に没交渉?何がいけない。世間ではなく世界を見つめていようよ、なぁオイ」。