ハープが奏でる甘美な曲が、ボクの古傷を舐め苦しめる。

 蜂に刺された痛みは和らいだが、昨夜も寝返りを打つ度に痛みで目が覚め、熟睡できなかった。目を覚ますと7時を回っている。慌てて飛び起きて、待ち侘びていたミシェールに「ご免よ、ご免よ」と言いながら、霧雨の中をウォーキング。
 朝の行事が終了し、コーヒーしながら何を聴きましょうかと「えいっ」と取り出したら、マルクス・クリンコが弾くハープによるフランス曲。長い間聴かずにいた。

 些か躊躇しながらCDプレーヤーの皿に載せたが、ボクが躊躇するには辛いワケがある。
 此処へ移り住んで間もない頃、「ログハウスって素敵じゃないですか。一度遊びに行っていいですか」と、ボクより亡くなった妻と親しかった、宝塚にいる女性から電話があった。その頃は、山の中にログハウスを建て、独りでいるボクの暮らしぶりが、知り合いの人たちの興味を誘ったのか、とっかけひっかけ人が遊びに来た。
 ボクは彼女もそのうちの一人ぐらいに思っていたので、「いつでも貴女の都合のいい時にいらっしゃい」と快諾したが、その折に「貴方のお気に召すでしょうか」と持参していただいたのが、このCDである。
 妻が通っていた篭を編む教室(素材の名をボクは知らないが、その時の妻の作品の幾つかが、今も我が家に残っている)で知り合ったようで、綺麗な背の高くスタイリッシュな女性なので、「彼女は宝塚ジェンヌ?」と妻に聞いたが彼女は知らなかった。
 近くの大野城界隈などを案内して、夜は大野に1軒しかないフランス料理のレストランで歓待、「遅くなったので、今晩は泊まりますか」「よろしくお願いします」と言うことになって、2階の和室に用意をしたが、1時になっても2時になっても2階に上がろうとしないので、「ご免なさいね。もう2時を廻りました、ボクは寝ますね」と、彼女をリビングに置いたまま寝室に入った。
 ボクはなかなか寝付かれなかった。妻が亡くなって7年目、我が家に妙齢の美人と二人っきり。物音一つしないので様子を見に行こうかとも思うが、ボクはどうすることも出来なかった。ウトウトしたのは朝方のこと。そっと寝室からリビングに出ると、彼女がソファーの上で丸くなって寝ていた。2階に布団を敷いてあったのにと、そっと毛布を掛けたが気が付かずに眠っていた。
 その日の午後のこと、「もう一晩泊まってもいい」と言う彼女に「帰んなさい。男が一人でいるところに泊まったりしてはいけない」と、心を鬼にして言った。
 夕方、駅のホームまで送ったが、電車の中からボクを見つめる彼女の、何かを咎めるような恨めしい目付きは、ボクの脳裏に刻み込まれたままである。この話は此処で終わらない、さらに後日談がある。
 5年前、大腸癌から生き返り、グアテマラの家も売り払って、これからは日本で静かに暮らすと決めた秋のこと。ボクら夫婦が芦屋にいた時分、大変親しく面倒を見て下さった方の、ダイアモンド婚の祝賀会に参列した時、数人の女性の集団の中に、一際目立つ美しい女性が、ボクに軽く会釈をされたのに気が付いた。良く良く見れば何時ぞやの彼女ではないか。
 慌ててボクも会釈を返したが、近寄って挨拶をするという雰囲気ではない冷たい視線を感じて、ボクは立ちすくんだまま。ホンの一瞬の出来事であった。
 華やいだ雰囲気の中、ボクに向けられた射るように冷たい視線は、彼女の好意に優しい言葉一つすら掛けられなかった、非情なボクが受ける当然の報いでしょう。死ぬまで背負って行かねばならない報いだと思っている。
 だから躊躇の後で、辛い思いを甦らせながら聴くCDなのです。