間断なく雪は降り積もり、「ホワイト・クリスマスだと?」。寒くて暗い12月25日です。

 朝6時ミシェールとするウォーキングは雪の止み間だったのか。帰宅して程なく降り出した雪は、見る見る間に降り積もり、キーボードを叩いている10時前には積雪は30cmを超え、辺りは夕闇を思わせるほど暗い。世間ではお目出度く「ホワイト・クリスマス」などと、メルヘンティックに言うのだろうか。
ボクはこんな気持ち塞ぐ日には、モーツァルトを聴く。マリア・ジョアン・ピリス若い頃の「ピアノソナタ:11番(トルコ行進曲付き)」。1974年、イイノ・ホールでスタインウェイで弾いたPCM録音のレコードである。

今時の若い人は、{PCM録音}と言ってもご存知ない方が多いでしょうね。一時は「音がいい」と喧伝されたが、やがてデジタル録音に取って代わり消えてしまった。
 このマリア・ジョアン・ピリスモーツァルト演奏について、吉田秀和さんが解説されているが読み返して懐かしかった。吉田さんの解説は昔も今も賛否が分かれるが、耳障りのいい形容詞ばかりが並ぶ誰が書いても同じような解説と違って、何を聴いても読んでも、そこには吉田さんの顔が見えてくる。
 吉田さんを跡付けることなどボクに出来るわけがない。吉田さんの一節だけを紹介しましょう。
 「この人のモーツァルトは、実に生きている。生きて、動いているモーツァルトであって、仮面を被った自己を殺したモーツァルトではない。(中略)モーツァルトアゴーギクが烈しくベートーヴェンを思わすからといって、彼女が「大きな音のする」音楽をしているのではない。全部はむしろ控え目とみた方が正しいかも知れない。ただ音それ自体は小さくたって、ダイナミックな音楽はいくらだってつくれることを忘れてはいけないでしょう」
 これなど、吉田さん独特の口説と言うべきですか。