『原爆慰霊碑』に塗料を吹き付けた連中は、いずれは終身刑が妥当とされる厳罰が必要でしょう。

 ミシェールとする朝の散歩の帰り、車の轍の跡に小さな動物の足跡を見付けた。
 毎朝5時頃には新聞配達の車が、我が家の前を通って部落に行って帰ってくるが、その往復した車の轍の上に、恐らくは狐と思われる小さな足跡が、くっきりと残っている。
 6時過ぎのことで、すでに車の轍の上にはうっすらと雪が積もっているが、その小さな足跡は今さっきのものに違いない。周りを見渡すが姿は見えなかった。
 肢の長いミシェールでも降り積もった雪の上は歩き難いか、車の通った跡があれば轍の上を歩くから、肢の短い動物は当然そうするのだろう。足跡は雪道を斜め横断して、家の近くの林の中へ消えている。雪に埋もれて、人家の近くまで餌でも探しに来たのだろうか。
 雪道の上では動物の臭いは消えてしまうのか、ミシェールは足跡の上を何事もないかのように歩く。「狐さんは、何処へ行ったのでしょうね」と話しながら、家の前まで来ると部落では見知らぬ車が通り過ぎる。見れば「京都ナンバー」これから都会へUターンする車か。
 腰痛体操をして朝の食事が終われば、もう8時。PCに火を入れ最初目にした、「広島の平和公園にある『原爆慰霊塔』に金色のペンキ」というトップニュースに、憤懣やるかたなく柳眉を逆立てている。
 わが国では、この種の犯罪は極めて微罪として扱われ、「軽犯罪」として説諭か僅かな罰金で済むから、跡が絶たないのであって、盗む・脅す・騙す程度の犯罪とは次元を相違する、人間の尊厳を汚辱する大罪であるという国民的コンセンサスを打立てて、終身刑こそ望ましいとされる時代が到来しないだろうか。
 先ずはこんな不埒なことを軽い悪戯気分ですることは、「人間として赦されない行為である」とする刑法の改正が待たれるのである。
 「罪を憎んで人を憎まず」なんて、キレイなことは言わない。こんな行為をする人間を、ボクは心から憎む。断じて許さない。