79才になって(4)

 雪がないのも今日までで、明日から来週にかけて寒さがぶり返すとか。春はまだまだ先のことかと思うが、それでも早や1月も20日が過ぎた。
 ボクは昭和25年、高1の時には福井の片田舎で共産党シンパの一員だった。『社研』のメンバーだったボクは、その中にいる共産党のアジトに出入りする先輩連中と、放課後は部室に集まって『共産党宣言』を輪読した。
 そのうち誘われて、町なかのアジトで開かれる勉強会に参加したり、『赤旗』の配達を手伝ったり、いつの間にかシンパと呼ばれるようになっていた。
 小さな町のこと、ボクの動向は学校の知れるところとなって、風紀担当の教官には「お前は警察のブラックリストに挙がっているぞ。生徒会長が共産党の集まりに顔を出すなんて前代未聞のこと、学校も困まっている」と言われ、担任からは「進学はどうする気か」と詰め寄られたりした。
 家では、ボクの机の上に『赤旗』があろうと,ナウカ書店や大月書店の本が積んであろうとも、親父は何も言わなかった。見て見ぬ振りをしていた。
 当然のことながら受験に失敗。その後、京都の予備校に通っていた頃、同宿の『全学連』の猛者連中から懇篤なる薫陶を受けたことは、前にコーヒー談義のところで書いた。
 ボクの中にタテに貫いているものはと言えば、物心がついた頃から「どんなことがあっても嘘だけは吐くな」と親父から教えられ、中学生の頃に武者振り読んだロシヤ文学と、高校時代に「共産党宣言」や難渋な「資本論」を目を凝らして読んで培われた、力あるもの権力なるものが不条理ならば真っ直ぐに立ち向え、と言うことではなかっただろうか。