79才になって(6)

 「79才になったボクは、新聞を読まないし、TVを観ない」と言うと、大概の人は「お前さんは、一日中、何をしているんだね」と訊く。
 「山里の林の中で独り暮らして、新聞は読まない・TVを観ないなら、どうやって日を過しているのか、そんなこと信じられない」という顔をする。
 インターネットをやり出してから16,7年になるか、オンラインニュースを見るようになってから新聞は要らなくなった。不要となった新聞の購読を止めて5年になる。ただ週刊誌代わりに、"N.Y,Times : Weekly Review"を読んでいる。
 我が家のPCには、「朝日新聞」「時事ドットコム」「NHKオンライン」が、英語では「ニューヨーク・タイムス」「ロス・タイムス」「ガーディアン」が、ドイツ語のものは「シュピーゲル・オンライン」、スペイン語グアテマラで購読していた「プレンサ・リブレ」などが、「お気に入り」に収容してある。新聞は一日遅れだが、オンラインニュースはTVと同様、リアルタイムである。時にはTVより速く画面に出て来る。
 平素、ドイツ語やスペイン語の本を読まないものだから、少なくないドイツ語やスペイン語が忘却の彼方に行ってしまったが、何とか食い止めておきたいと、これら新聞のオンラインニュースに目を通すようにしている。
 TVは、まだ妻がいた時分から野球中継ぐらいしか観なかった。どう観ても低脳としか思えない「お笑いタレント」や「落語家崩れ」が、朝の早いうちから使い古しのギャグを連発して独りで喜んでいるような番組など、観たくもないから観ない。
 「TVの、映像の凄さに感嘆しないのか」と言われるかも知れないが、デジタルTVの画面は確かに解像が細やかになり一段と鮮明になったが、「キレイな」と言うだけで感銘したことはない。
 外科手術の鮮明な映像は医学の世界には貢献するだろうが、自然や動植物の鮮明な画像を、ぼく等は娯楽として観るが「きれいだ」と思うだけ。更に、より鮮明な映像を求める欲求を増幅するだけのことではないか。
 天邪鬼を言っているようだが、昔のモノクロ映画を見て、心をときめかせ感動する人は今も大勢いる。少しぼやけた白黒の画面から、人は想像の羽を一杯に広げ、そこに我が身を置き喜び悲しみ、魂を揺さぶられるのである。
 コレでもかコレでもかと鮮明になった画像からは、人は想像する喜びを剥ぎ取られてしまう。レコードやCDを聴いてオペラフアンになったボクは、DVDなどで鮮明な映像で観るオペラより、CDで想像力を働かせながら聴くオペラがいい。
 新聞を読まないTVも観ないボクには、本を読み音楽を聴く無上の喜びがある。
 79才になる人間が独り棲んで「生きていて良かった」と思う所以がココにある。