ボクに何かボランティアな活動が出来ないだろうか。

 プールに通い出して間もなく1年になる。火・金の週2回、1回1時間15分程、ばあさん連中とプールの中を歩いたり泳いだり。結構いい運動になっていると言う確かな手応えがある。
 30過ぎから長年の腰痛に悩んで来たが、福井の山里で一人暮らしをすると決めてから、腰痛に効き目がありそうな体操を始めて15年。重たいものを持ち上げたりはしないようにしているが、腰痛で家事や歩行が困難になったことは一度もないのは、毎朝30分程の体操の効果ではないか。
 ミシェールと日に3回するウォーキングも、激しい降雨以外は欠かしたことはなく、否応なく進行する老いを何とか食い止めたいと体力の増強には心掛けて来た。
 そして毎日、日課のように音楽を聴き本を読みメールを書くが、きっと脳の衰退を遅らせボケ防止に役立つだろうと思っている。
 それでも白内障になったり前歯がポロリと抜けたりするのは、これはもう避けようのないことでしょう。
 貧しくとも心豊かに暮らしていると自賛しているが、最近「ボクの暮らしには足りないものがある」と思えてならないのだ。
 よくよく考えると「ボクはボクだけの世界に人と関わりなく生きて、誰の世話にもならずに一人で立派に暮らしていると傲慢に考えているが、人から世の中から何の恩恵を受けずに、その日が暮らせるわけがないではないか。ボクの日頃の生活には感謝と言う概念が欠落してはいないか」と思えるのである。
 そう思うと、また別のボクが呟く。
 「80にもなれば、出来るだけ人の世話にならずに自分のことは自分でする。そのことが老人社会と言われる今、 年寄りに望まれているのではないか。そのために、お前は日頃努力をしているじゃないか、それで十分だよ」と。
 「しかしなぁ。健康に恵まれ、独り暮し故に時間の余裕もあるしな、何か人のため世のためになることを、少しは やってみたい」
 「挫折したら、自己嫌悪しか残らないぞ」
 「分かってる!」。