79才にして女を恋ふる記(3)

 「79才にして・・」のシリーズを再開しましょう。
 55才で妻に先立たれ二人の息子も結婚し独り取り残されてから、空襲を避けて疎開したことのある福井の山里にログハウスを建て、そこへ移り住んだところまでお話しましたか。
 ボクが戻ったと知って、中学や高校時代の同級が頻繁に我が家に来てくれた。嘗ての懐かしいところを走り回ったり、友人宅で時の過ぎるのを忘れたりして、3,4年は瞬く間に過ぎて行った。
 昂ぶっていた気分も漸く落ち着いた頃、もう一つの夢「外国にも家を建てて、日本と行きつ戻りつする生活」に、チャレンジしてみる気になった。そうなるとボクはブレーキの無い車のように、まっしぐら走り出した。
 「行き先を何処にするか」決めるまでの詳細は省略するが、ノーベル平和賞の「リコベルタメンチュー」さんの著作から刺激を受け、何処かで本場のコーヒーを飲んでみたい願望も重なって、中米の中で政情も穏やかな『グアテマラ』に決め、その歴史・経済・教育・庶民の暮らし等を、図書館巡りをしながら調べた。
 中南米一帯の公用語スペイン語であることを知っていたが、英語が分かるので飛行場やホテルでは困らないだろうと、草鞋を脱ぐ先は「古い文化都市アンティグア」と決め、まるっきりスペイン語の駄目な爺が飛び出した。
 最初の頃は、3ヶ月ごとに隣国に出かけては入国ビサを更新していたが、面倒くさいしグアテマラに気に入ったので、あちらでは日本人は評判が良く比較的容易に取得できる「永住権」を申請して、6ヶ月後に入手した。 
 いよいよ家を建てることになって(土地探しも結構楽しかったな)、アンティグア市の南4キロ程にある富士山そっくりのボルカン・デル・アグアと言う休火山の麓に、150坪の土地を購入し瀟洒なコロニアル風の家を設計して、現地の若いインデヘナたちに建ててもらった。
 
 近くのパン屋に働いていたマリリン(懐かしい名です)と呼ぶ20才になる女性に、我が家の「お手伝いさん」に来て貰った。あちらのインデヘナたちは男も女も日本人のようにシャカシャカと働かないのは、トロピカルな風土のせいだろうか。でもマリリンはボクにとって、お抱えのスペイン語教師のようでボクは英語を教えてやり彼女からスペイン語を教わった。
 グアテマラ国内の観光地の殆どを回ったし、近隣のメキシコ・エルサルバドールやコスタリカにも行ったな。
 陽気で明るく人懐っこくて優しいインデヘナ(現地の先住民をスペイン語でインデヘナと言う)に囲まれて、「グアテマラ帰化しようか」と考えたこともあった。