79才にして女を恋ふる記(4)

 グアテマラには、寒い北陸の11月中頃から暖かくなる3月末頃まで、毎年約4ヶ月近く滞在した。
 最初のグアテマラ行きは、福井へ移り住んだ4年後の1998年(平成10年)11月18日。成田を飛び立った時には、少々のことには物怖じないボクだが、単身で見ず知らずのところに定かな計画もなく出掛けることに心細さを感じたものだった。
 グアテマラを行きつ戻りつした7年間のアヴァンチュールには、「外国にも自分の家を持つ」という夢も実現して、語り尽くせない程の話題があるが、いずれ稿を改めて書きてみたい。
 あれは2003年の正月頃からか、頑固な便秘が始まった。野菜の摂取が足りないかと、いろいろ食生活を工夫してみるが良くならない。アンティグア市内の薬局で下剤を買って服用すると2,3日分の大量の便が出るが、下剤を止めるとまた便秘が始まる繰り返しである。熱があるわけではなし食欲も普通にあり、何も異状を感じないのに便秘だけが続いた。
 例年のように3月に帰国したが、半年が過ぎても便秘は続き、本棚の『医学大全』を紐解くと、素人にも「大腸癌」の症状に酷似していると推定できた。そのうち服用する下剤の量が増えてきて、「これは容易なことでないな」と医者の門を叩くと、案の定「S状結腸癌」と宣告され10月21日に手術となった。
 癌発症の部位を約25cm切除して、手術は無事終了した。術後の経過もよく2週間で退院したが、担当医からは「あちらは医療体制が十分でないので、再発リスクの高い2年間は日本にいた方がいいでしょう」と言われ、日本で安静にすることにした。
 ところが翌翌年の2005年8月、術後2年が経ってグアテマラに行く準備をしようかと思っていた矢先、吃驚仰天するような電話がグアテマラからかかってきた。
 「山本さんの家が悪い奴に乗っ取られ、すでに違う男のものに登記され、家の前にはピストルを持ったガードマンが立っていて、『この家は日本人の山本から買ったもので、見知らぬ者は家に入れないようにと言われている』と、家の中に入れてくれない」と言うのだ。日本では考えられないような事件の発生である。
 グアテマラでは管理人が寝泊りしていない新築の家屋を乗っ取る事件が、ここ数年の間に頻発していると聞いたことはあったが、よもや我が家にそんなことが起こるとは!
 大使館に連絡すると「弁護士を紹介するので、一日も早くグアテマラに来るように」と言われ、訴訟の経費を懐にして飛んで行った。
 その後の経緯は省略するが、ボクの家を買ったという男は札付きの悪で警察も目をつけていたらしく、検察庁で4,5回事情聴取があっただけで、弁護士料やら再登記料の1.000$ほど払って、事件は落着し家は元通りボクのものになった。
 そんな事件があり病後の養生も気になって、「ボクの家を是非購入したい」という人に、長年の夢であったグアテマラの家を手放すことにしたが断腸の思いであった。
 グアテマラでは本当にいろいろあった。「グアテマラ奮闘記」を書けば優に一冊の本になるだろう。
 もう外国暮らしをすることもなく、好きな音楽を聴き読みたい本を読んで、残り人生を山里で静かに暮らすと心決めたが、独りでは寂しかろうと恋焦がれたボルゾイを捜し求め、優雅にして巨漢のミシェールが来たのは、今から6年前の2006年月3月のことであった。
 長々とした自己紹介でしたが前段は此のくらいにして、いよいよ「何故今頃になって女が恋しくなったか」、老い耄れの恥知らずな心の内を聞いていただくことにしましょうか。