79才にして女を恋ふる記(6)

 24年前、50才で亡くなった妻は、今でもボクの中では年を取らず50のまんま。
 お義母さんが背の高いスリムな人だったように、妻も長身でほっそりした鼻筋の通った、ボクは言うのも可笑しいが美人だった。
 花弁がヒラヒラして何処となくヒ弱そうな、『トルコ桔梗』という花をご存知だろうか。
 生前、妻に「君はトルコ桔梗みたいな人だね」と言ったら、「なんで?」と聞くから、「ヒラヒラと頼りなさそうで風が吹いたら飛んで行っちゃいそうだから」と言えば、気色ばんで「こう見えても48キロもあるのよ」と言ったのを思い出す。
 ボクは50才台の痩身の女性と擦れ違ったりすると、思わず立ち止まって不躾にまじまじと見つめてしまう。ボクは何時も50台と思しき女性が目に留まる。
「女房と同じ年恰好の人だな」、「この人よりは女房はキレイだったな」、「こんなキレイな女をワイフにしている男はどんな奴だろう」とか。自分がみすぼらしい老い耄れであることを忘れてしまっている。
「未だに年令だの容姿にこだわるのか!?」と言われても、ボクが恋する女は50台で背の高いスリムな美人に決まっている。誰が何と言おうとも、ボクはそれ以外の女性には見向きもしない。
 「お前はもう79だろうが。馬鹿言うな、身の程を知れ身の程を!そんな女性に出会えるとでも思ってるのか」と呆れられようと馬鹿にされようと、断じて妥協したりしない。きっと何処かにいます。きっと会えますとも。
 ボクが恋する女は、更にこんな人であって欲しいと思うのです。