「唱歌集」を広げ口ずさみながら、他愛もなく涙を流すのですよ(1)
朝6時、昨夜来の5cmほどの積雪の上に、小さな動物(狐でしょうね)の足跡が残っていた。
左側(道路端側)の小さな足跡と較べて、右側のミシェールの足跡の大きいこと。何を求めて歩いたのでしょうか、足跡は道路内を右に行ったり左に行ったり、やがて林の中へ消えて行った。
昨日、注文していた「日本唱歌集」と「日本童謡集」が届いた。子供頃に歌った、今頃の唱歌の中で好きな歌と言えば『早春賦』かな。
「早春賦」と言う題名からして、いいじゃないですか。心躍るじゃないですか。
一 春は名のみの風の寒さよ
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず。
時にあらずと 声も立てず。
二 氷解け去り葦は角(つの)ぐむ。
さては時ぞと 思うあやにく
今日もきのうも 雪の空
今日もきのうも 雪の空
三 春と聞かねば知らでありしを。
聞けば急かるる 胸の思いを
いかにせよとの この頃か。
いかにせよとの この頃か。
作詞家の吉丸一昌も作曲家の中田章も知らないが、今尚この歌は諳んじている。
『谷の鶯は歌を歌うとしたけれど、まだまだ春は先のこと、歌うには早過ぎると我慢しているのでしょうね。氷が解けて、葦が手足を伸ばし始め春が来たかと思ったのに、今日も昨日も雪が降るのですよ。春が来たよと聞かねば、春への思いに焦がれぬものを、この春を思う心をどうしたものでしょう』と。
こんな韻を含んだ美しい日本語は、一体何処へ行ってしまったのでしょうか。「いかにせよとの
この頃か」「いかにせよとの この頃か」と繰り返し歌えば、ボクの目は潤んで、前が見えなくなるのですよ。