「唱歌集」を広げ口ずさめば、他愛もなく涙がこぼれるのですよ(2)

 ここ数日、寒いが雪が少なく直ぐ解けるので、除雪することなく大助かり。こんな調子で春になるといいが、未だ昔風に言えば「松の内」、そうは行くまいな。
 「尋常小学唱歌」の中から知っている冬の歌を探して、この『冬景色』を見付けた。

  一 さ霧消ゆる湊江(みなとえ)の
     舟に白し、朝の霜。
    ただ水鳥の声はして  
     いまだ覚めず、岸の家。

  二 烏啼きて木に高く、
     人は畑に麦を踏む。
    げに小春日ののどけしや。
     かえり咲の花も見ゆ。

  三 嵐吹きて雲は落ち、
     時雨降りて日は暮れぬ。
    若し燈火(ともしび)の漏れ来ずば、
     それと分(わ)かじ、野辺(のべ)の里

 大正初めの文部唱歌で小学生が教わり歌った歌である。想像の翼を広げれば、ボクの目の前にこんな情景が浮かんで来ます。
 『袴姿の女の先生が、教壇の上に立って黒板に書いた歌を一節ずつ説明している。
 「霧が消えて、入り江の港の船の上には白い雪が積もっているの。
  水鳥の鳴く声が聞えるばかりで、岸の家々は未だ寝静まったままよ」
 「嵐になって雲は流れ、冷たい時雨が降って日が暮れると
  家々の灯火が点らなかったら、野の辺りに家があるとは想えないでしょう」と
  女の教師は、日本中の至る所で見られた、「冬景色」と言う歌に込められた港町や野辺の里の「冬の  忍従の風景」を、優しく分り易く教え聞かせ、教室の隅にある小さなオルガンを弾きながら「大き   な口を開けて大きな声で歌うのですよ」。当時は学生服を着た子供はまばら、粗末な着物を身に纏っ  た子供たちが、この「冬景色」を一生懸命に歌っている』。
 こんな光景を想像すれば、涙腺の緩んだボクの目が潤んでくるのです。
 今時の子供は、どんな日本の冬を歌うのでしょう。