「唱歌集」を広げ口ずさめば、他愛もなく目が潤むのですよ(4)

 昨日の「成人の日」は首都圏では大雪のため交通が乱れ、滑って怪我をした人が200人を超えたと。何年かに一度はこんなことがあるようで、平素雪の備えのないところは大変です。
 「あした浜辺を、さまよえば」と歌う『浜辺の歌』をご存知の方は多いでしょうね。きっと大勢の方が歌ったことでしょう。
 「唱歌集」の中に見つけて、久し振りに口ずさみましたが、1番は難なく歌えても二番の歌詞が思い出せない。遠い記憶を手繰り寄せようとするのですが、どうしても思い出せない。覚えているようで完全に忘却の彼方に行ってしまったことってありますよね。
 
              『浜辺の歌』

         一 あした浜辺を さまよえば、
           昔のことぞ しのばるる。
           風の音よ、雲のさまよ、
           よする波も かいの色も。

         二 ゆうべ浜辺を もとおれば、
           昔の人ぞ、忍ばるる。
           寄する波よ、かえす波よ。
           月の色も、星のかげも。

 大正年間に創られた、作詞は林古渓の手になるものとか。こうして字に書けば「二番は、こうだったなぁ」と思い出されて懐かしい。
 二番の「もとおれば」を、「歩けば」と教わったのか、自分勝手にそう解釈していたのか定かではないが、長いこと「夕べの浜辺を歩けば」と思って来た。
 このたび、正しい意味はどうであろうかと「広辞苑」を紐解けば、『もとおる』とは「めぐる。まわる。徘徊する」とある。「歩く」と言うのは「当たらずも遠からず」でも、「夕べの浜辺を歩けば」と言えば散文的、やはり「夕べの浜辺をめぐれば」は、しっとりとして趣きがある。恥ずかしながらボクは80にして知りました。
 ボクは中学・高校の頃は福井の温泉町・芦原にいた。そこから電車に乗っ北前船の寄港地として、北陸では名高い三国湊の、小高い丘の上にある三国高校まで通った。その頃は海水浴場の浜地から荒磯伝いに東尋坊まで、何度も歩いたものである。
 春になったら、懐かしい三国の浜を歩いて(いえ、徘徊して)みましょう。昔のことや今は亡き友を思い出して、ボクはさめざめと泣くのでしょう。