「童謡集」に、こんな切なくも悲しい歌を見て、ボクはまた涙を流すのです(6)。

 昨日は「阪神淡路大震災」から18年目。禄でもないことばかりして来たボクは、震災を予見していたかのように、その前の年の4月に芦屋から福井へ移り住んで難を逃れ、神戸や芦屋にいた子供たちも怖い思いをしたでしょうが、その日の朝早く「無事だよ」と電話をして来た。速いものでアレから、もう18年か経つて。
 ボクは死んだ人がどうなるか知らないし神も仏も信じませんが、残された人が悲しみを乗り越えて、健やかに過ごされますよう願っています。
 童謡の中に子供心を切なく歌った、こんな悲しい歌を見つけました。

               『夕顔』

            去年遊んだ砂山で
            去年遊んだ子をおもう

            わかれる僕は船の上
            送るその子は山の上

            船の姿が消えるまで
            白い帽子を振ってたが

            きょう砂山に来て見れば
            さびしい波の音ばかり

            あれほど固い約束を
            忘れたものか 死んだのか

            ふと見わたせば磯かげに
            白い帽子が呼ぶような

            駆けて下りれば 夕顔の
            花がしょんぼり咲いていた
 
 「もう一度会いたいと去年遊んだ浜に来て見たが、あの子の姿が見られない。どうしたんだろう、僕との約束を忘れたのか、まさか死んじゃったのではないだろうなと、そこいらを見わたし見れば、磯の蔭に何やら白いものが。きっとあの子だと駆け寄って見ると、夕顔が寂しげに咲いているだけ」と。
 子供の寂しい悲しみが、じーんと胸に迫り来る見事な歌ではありませんか。「西条八十」、大正8年の作と知りました。
 
 もう一つ、子供心に宿る切なくも悲しい思いを歌った「学校のかえり」。相馬御風の作詩です。
 
               『学校のかえり』

              いつしか
              雪が
              ふりやんで
              青い
              月夜に
              なりました。

              夜学(やがく)の
              かえり
              縄手道
              きょうも
              わたしは
              ただひとり  

              雪の上には
              さむそうな
              わたしの
              影が
              うつります。  

 夜学に通う切なさと、暗い夜道を友もなく一人で帰る寂しさとが、切々と胸に迫りませんか。
 ボクは貧しい家で育ちました。今はこんな表現を使いませんが、「赤貧洗うが如し」家庭でした。それでも両親は、ボクを昼間の学校に通わせてくれました。
 昼間、学校に行って嬉々と遊ぶ友達を見ながら働いて、夜になってから学校に通う切なさ、夜道を一人帰る寂しさは、どんなに辛かったかと、ボクは誰もいない家の中で声を上げて泣きました。