日が差して春が来たかと思うほど。デッキの上にロッキング・チェアを持ち出した。

10時過ぎ、日が差して春が来たかと錯覚するほどに暖かい。デッキにロッキング・チェアを出して、久し振りにショーペンハウエルを読む。
 室内温度を見れば14度、エアコンの電源を切ってデッキに出た。ミシェールも陽気に誘われて日向ぼっこで、気持ちよさそう。
                                                        
        
                                 
 こんな調子で春になるといいが、そうはいかないようで明日から向う一週間、雪だるまのマークが並んでいる。今度こんな陽気になるのは、いつ頃だろう。
 孤独を礼賛して止まないショ−ペンハウエルは斯く言う。
 『あらゆる社会は、かならずお互いに順応し調節しあうことを要求する』と。
 『なんぴとも完全におのれ自身であることが許されるのは、その人が一人でいるときだけである』と。
 その通り、人は社会的に生きることを要求され「お前一人の世の中ではない」と言われて生きている。
 『だれでも一般には、おのれ自身とだけ最も完全に協調することができる。友人や恋人と言えども、完全に協調できはしない。なぜなら人それぞれの個性や気分が異なるため、他人とのあいだではどんな小さなことであっても、不協和音が生じてくる』からだと。
 言われてみればな。友情とか結婚が人びとを結びつけると言っても、完全に公正な間柄は自分自身とだけではないか。納得。
 『六十才ともなれば、孤独を求める気持ちは、本能的なものになる』と言う。
 『なぜならこの年頃になると。社交への強い欲求や、女を欲しがる気持ちや性欲はもはや勢いを失う』からだとは、お見事。
 ボクには痛いほど思い当る。だんだん一人でいることが良くなって、人前が鬱陶しい。
 『他の人とあまり似ておらず、一人ぼっちの個性の持主は、自分に特有の孤立を、若いときには重苦しいと感じていたけれど、年をとるとさっぱりとしたものと思うようになる』と言うが、ボクはハタッと膝を叩いている。
 久し振りのショーペンハウエルに感動して、暫く読み続けるつもりでいる。