昨日、障害者支援センターが主宰する集まりに参加した。

梅雨は気まぐれ、空梅雨かと思えば洪水警報が出るほど雨が降る。
 昨日、雨の中を近隣の「障害者支援センター」が主宰する集まりに参加してきた。
男性が5人、女性が7人ほどの集まりで、20代の若いセンターの職員が司会と言うか世話をして、用意されている湯茶を各自でいただきながら、とりとめもなく隣同士でお喋りをする。
 中には、ずっとスマホを弄ったまま顔も上げずにお喋りしているのもいる。共通の話題もなく、てんでばらばら好き勝手にやっている。
 ボクは障害者と向き合ったことが一度もないので健常者と障害者の区別がつかないが、暫く彼等の様子を見ていて、車椅子に乗っている女性を除き、みんな軽い精神障害を持った人たちだと認識した。
 彼等の言語は明晰だし、体の所作にも不自然なところは何もないのだが、誰に言うことなく喋っている。普通は話し相手の顔を見ながら話すものだが、お互い目線を合わすことなく喋っている。全く無表情で、納得しているのか感じるところがあるのかないのか、さっぱり分からない。ボクに言わせば「顔がないもの同志」がお喋りをしているのだ。
 人は話し相手の表情から、自分の言葉の理解の程を図りながらコミニケーションするものだが、彼等は相手の理解を自明のことして話している。だから人に賛同を求めたりするような話はしない。差しさわりのない当然のことを話しているだけ。決してお互いが話し合ってないことに気が付いた。ボク等のように言い争うことなく、いつも平和なのだ。
「今日は誰々さんとこんな話をした、面白かった、為になった」なんてこともない。「2時間の間、心許せる仲間と一緒に過ごせた」だけ、それで十分すぎるほど十分なのだ。だからウキウキと帰宅に着く。
 ボクは恣意的なところが何も感じられない、方向性も見出せないこの種の集まりに、如何ほどの効果があるのかと疑問に思ったが、彼等にとって偏見と蔑みに囲まれ邪魔者扱いにされることなく,「世の中から解放されて自由になる居場所である」と気が付いた。
 当初期待していた集まりではなかったけど、そこでまたボクは大事なことを教わった。今度、彼等に会うときはボクはきっと違った顔をしているだろう。