「おじいちゃんの古時計」が回復し、メロディを奏で時を打ちます。
ボクの背の高さを優に超える「おじいちゃんの古時計(Grandfather clock)」が回復して、15分おきにメロディを奏で、時報時には時の数だけウエストミンスター寺院の鐘を鳴らしてくれるようになった。
リビングルームの左翼はこんな具合。
ワイドに見ればこんな具合。
ボクは杉林を切り拓いたログハウスに一人住まいをしている。最寄りの民家までは500mは離れているだろう。巨漢のミシェールはボクの言うことを大抵は理解するが、所詮、犬は犬。言葉を交わし談笑するなんてことはない。
音楽の好きなボクは終日なんかかんか音楽を聴いているが、巨大な音響装置と会話するなんてことはないし、いかに本好きでも「本は黙して語らず」である。
そんな我が家に1年ほど前、鎌倉から「おじいちゃんの古時計」の巨人がやって来た。ネジ(3本の錘の下がりがネジの役目をする)の錘を巻上げさえすれば、15分毎にメロディを奏で、時になると時の数だけ鐘を打つてくれるのである。
まるで生きもののような存在だった「おじいちゃんの古時計」が、2ヶ月ばかり前になるか突然1本の錘が巻き上がらなくなり、メロディも鐘も打たなくなってしまった。この間の寂寞たる思いを何に譬えましょうや。
それが昨日、福井市内から修理屋さんが来て僅か1時間足らずで修復してくれた。「愁眉を開く」とは正にこのこと。
今からだと35,6年前、ロンドンのウエストミンスター寺院から数キロのところにいて、毎日鐘の音を聞きながら数年暮らしたことがあるが、暫く聞こえなかった懐かしい鐘の音が、また聞こえて来た!
他愛もないようだが、ボクにはこんな嬉しいことってない。修理に至る経緯にはいろいろあったが、もうそんなことどうでもいい。