ボクのブログを下敷きにして、物語を創作した方がおられる。

 大分前のこと(正確に言うなら、2011年7月20日付)の『66年前の7月16日、福井空襲で1,600人の人が焼死。その時ボクは旧制中学の1年だった』とタイトルしたブログを書いたが、それにコメントを頂いた方と今も交流が続いている。
 「寿しや」の女将さんをしながら、学校や施設で絵本や童話の読み聞かせをしたり自作の紙芝居を見せたり、活発なボランティア活動をしている大変アクティヴな方で、我が家にも二度ばかり来宅されたかな。
 福井空襲の経験を書いたボクのブログに、女性らしい繊細な想像の翼を広げて一遍の物語にしたものが昨日ボクのところに届いた。原稿用紙にして20枚は超える立派な創作作品である。
 その中に出て来るのはボクであって、実はボクではない。フィックションの世界に衣装を凝らして出て来る一人の登場人物である。
 ボクはこんな風に描かれた「ボク」を見たことがないので、面食らったり、面映かったり、何とも名状し難い感慨に陥っている。
 そこに描かれているシュチエーションはボクが見たものとは違うし、その想像を絶するような光景を目の当たりにして、中学1年のボクは言葉を失い茫然自失で、消失した我が家を探して、ウロウロと徘徊したことだけは覚えている。
 姿の見えなかった、親父やお袋に会っても嬉しくて声を上げて抱き付いたりはしなかった。不思議と言えば不思議、ボクは言葉を失くしていた。何を言われても聞かれても、ボクは返事をしなかった。親父は言葉を発しないボクを見て、ボクの気の動転振りが分かるのか、優しい目をして黙ってボクを見つめていた。
 両親との再開の情景を、優しい女性の情感では、抱き合って喜びに涙するだろうと想像されて可笑しいことは何もない。むしろそれが自然な人間の情と言うものでしょう。
 でも、真実は違っていた。
 もう1つは、そこいらに転がる黒焦げの死体や、疎水にうつ伏せになって死んでいる女性の姿をイヤと言うほど見たが、母と女の子が手を取り合って立ったまま焼け死んでいる姿が、今もトラウマになってボクを苦しめる。
 あのブログでボクは書きたかったのは、親子が手を取り合って立ったまま焼け死んでいた凄まじい光景だった。黒焦げの死体がゴロゴロしているように、人間は灼熱の中で崩れ落ちて地に横たわって焼け死ぬのでしょう。それが焼け跡の瓦礫の中で、二人の親子はすっくと立って焼け死んでいたのです
 もう少しそこに陽が当たると更に良くなるだろうと、「山本」ならぬボクは思っています。