すこし、ほんのすこし、涼しくなったかな。

 今朝6時、室内温度は25度。少し、ほんの少しだけ涼しくなったか?まだまだ秋の気配なんてもんじゃないけど、夏の終焉が近づいたかと想えば嬉しいではないか。
 今日は日航ジャンボ機の墜落事故から30年。520人が犠牲になり生存者は3人だか4人だったか、神も仏も信じないボクは、ただ「亡くなられた方たちの、み霊よ安かれ」と願うばかりである。
 ミシェールのドライフードが残り少なくなり、コーヒーもオーダーしなければならなくなった。貧乏所帯は物が無くなると、あれもこれも一度に底を突くな。長い間、グアテマラ・コーヒーを飲んでいるが、同じ中米のコスタリカ・コーヒーをメインにしてみましょう。
 2週間ほど前から、左足の膝が痛み出して足を引きずって歩いていたが、医者嫌いのボクは「置き薬」の痛み止めを飲んだり、シップ薬を張ったりして少しは楽になって来た。
 思い当たるところが何もなくても、体のそこいらが痛み出すのは困る。予防のしようがないものな。「老いさらばえる」とは、こう言うことを言うのだろう。情けないったらない。
 ショパンの歌曲を聴いている。歌曲からもピアノ曲と同じように、当たり前だがショパンが聴こえて来る!
 

東京五輪を断念する勇気もなく、決断も出来ないか!

 朝6時の室内温度は25度、9時には27度になって堪らずクーラーを入れる。周りに民家もなく一軒ぽつんと杉林の中に建つログハウスでも、朝からクーラーのお世話になっている。毎日どこかで熱中症で人が亡くなっているとか。何とかならんか?こればっかしは何ともならんか!
 すっかり手垢の付いた東京五輪を辞めにしないか?辞めにする勇気もなければ、決断することも出来ないか?!世界中の物笑いになり、国民から冷笑を浴びせられても、決めたことはやるしかないか!
 少し雨が降りゃ、土砂災害や河川が氾濫する脆弱な国土を放ったらかしにして、笑いものの祭りごとに数千億の金をかけるのかね?
 電気柵を設置した人が、自殺したそうな。死んで詫びるつもりでも、亡くなった人が還って来るわけではない。何か空しいなぁ。
 

東京五輪のエンブレム、限りなく黒に近いな。

 ボクは初めて二つ並べて比較されているエンブレムを観たとき、「これはヤバイ!」と感じたなぁ。
 パッと見の美的感覚上のことだが、「これはよく似ているな」はなく「こんなユニークなコンセプト、日本的ではない」と、直感的に想ったものである。
 日本の関係機関が何と言おうと、日本の製作者とされるデザイナーが「盗作でした」とゲロするわけがなくシラを切り続けようとも、国を挙げてお神輿を担いだ連中が「言いがかりもいい加減にしろ」と大合唱しようとも、ボクは限りなく黒に近い、真っ黒だと想っている。
 感覚上の話であって、ボクに何の根拠があって「クロ」と決め付けているのでないが、こんな「瓜二つのもの」を見せられて「共にオリジナルなものだ」とは、半世紀以上にわたって美術・工芸に慣れ親しんで来たボクの美的感覚は、とてもじゃないが信じない。
 国立競技場といい五輪のエンブレムといい、大きく出足で躓いたな。5年先に始まる東京五輪、この先どんな問題が待ち構えていることやら!?。
 

油井という宇宙飛行士は、自衛隊の「お下がり」だってね。

 自衛隊員だった男が、宇宙を飛ぶようになったのか!?
 自衛隊の存在すら認めないボクは、自衛隊員や元自衛隊員だった人間が、虫唾が走るほど嫌いである。
 学生の頃は、今時分の現役の学生すら知っているものが少なくなってしまった『全学連』のメンバーだった。学校そっちのけで連日連夜、「安保反対!ヤンキーゴーホーム!自衛隊いらない!平和憲法を守れ!」とシュプレヒコールを叫びながら、大阪の曽根崎警察前から難波の高島屋前まで、御堂筋一杯に広がってデモに明け暮れたものである。
 卒業前の就職期には、ぬけぬけと「全学連知りません。デモに参加したことなど一度もありません」と言って大会社に入り、組合運動には一切関わらず、ひたすら勤勉実直な模範社員で定年を迎えたが、全学連当時に身に染み込んだ「平和主義」を、82才になる今日まで、かなぐり捨てたことだけはない。今なお、『憲法9条を守れ!沖縄の米軍基地を撤去せよ!自衛隊は要らない!』と言うスタンスは何ら変らない。
 だから、徴兵ではなく自ら志願して自衛隊に入隊するような人間を、ボクは許さない。油井なる人物がどんな理由で自衛隊員になったか知らないし知りたくもないが、何故に自衛隊の飛行士が宇宙飛行士になったのか知る由もないし、また知りたくもない。ただ、自衛隊の飛行士だった男が、宇宙飛行士になる時代になったかと驚き、暗澹たる気持ちになるのである。
 60代以上の方なら、ご記憶があるだろうが今から40年ほど前は「自衛隊とは一緒に防災訓練をしない」と言って、自衛隊が参加する防災訓練には参加しない地方自治体が、全国の随所にあったものである。
 ところが今はどうだ、自衛隊は災害復旧に欠かせない有難い存在として歓迎され、元自衛隊の飛行士が宇宙飛行士として、全国民の熱い視線を浴びながら宇宙の彼方を飛び回っているのだ。
 かつては自衛隊の飛行士で今は宇宙飛行士になった我が息子を、誇らしげに「ヒーローになった」と嘯く父親に、ボクは或る種の憐憫の情を抱くが、皆さんはどんな感想をお持ちでしょう。
 繰り返しますが、ボクは自衛隊の存在を認めない。どんな理由があって自衛隊に入ったにせよ、ボクは元も現も全ての自衛隊員を好きになれない、嫌いだなぁ。だからボクは油井飛行士のTVなど見ない。
 

「芥川賞」のカラ騒ぎ。龍之介は苦笑してるだろうな。

 芥川賞を貰った小説が、100万部数を売り尽くし更に増刷されるそうな。
 賞を貰った男がTV何ぞに出ていない普通の人間なら、こんなカラ騒ぎにならなかっただろうな。「TVに出ているコメディアンが小説を書いて、芥川賞を貰った!」
 芥川を読んだことも、芥川賞の存在に興味も関心もなかった人間が、TVに出ている、あの人が、ドエライ賞を貰ったらしい、という情報に舞い上がって、平素本を買ったこともない連中までが本を買い漁る。本当に日本はこんな情けない国になってしまったのか。
 殆どTVを見ないボクは、又吉と言うチンケなコメディアンを見たことがないし、これからも見ることはないだろうし、そいつが書いた小説を読む気もないが、こよなく芥川を愛するボクは「よってたかって、芥川の顔に泥を塗りやがった」と、悲憤慷慨している。
 賞の選者は全員一致で推挙し、一人の選者ごときは「純文学の匂いがする」というが、この選者の嗅覚は何処か狂ってないか。純文学とは何か分かって言ってるのか?全員一致して決めたと言うなら、選者全員のコメントを知りたいもんだ。
 増刷しても売れて売れて大儲けの出版社は、笑いが止らないだろう。「TVに出ているコメディアンが書いた小説が芥川賞を取れば、大受け間違いない」と読んでいた出版社は、わが意を得たりとニンマリだろうな。その策略にすっかり乗せられ踊らされた選者どもは、出版社から特別のボーナスでも頂きましたか。
 「灯火を親しみ、じっくり本を読む」今日この頃でないことぐらい十分に承知しているが、このフィーバーに背を向ける文学好きも、きっと大勢いるはず。
 「芥川賞」だの「直木賞」だのと言う、稀有の作家をめでる「祭りごと」など、もう辞めにしないか。

近頃、悲憤慷慨するようなことが起きるな。

 電気柵による感電死事故、これは殺人じゃないのか!?
 柵の設置者には殺人罪が適用されるべきではないか。こんな危険なもの放置して事故が起きるまで気が付かない、警察や監督官庁に何の責任もないのか!?
 動物の棲むテリトリーをどんどん侵食し、彼らが人里近くまで餌を探しに来なければならなくしたのは人間じゃないのか!?
 作物を荒らされまいと、電気を流した鉄線で張り巡らす非情な発想は、何処から生まれたのか!?人の命や動物の命は、尊厳を持った掛け替えのないものだとする意識が、近頃の人間に欠落してやしないか!
 ボクの近くの田圃にも電流を流す柵が張り巡らされている。20cm角の小さい蓄電池で大した電流は流れてないだろうが、どんな微弱な電流にも過敏に反応する人はいるものだ。こちらに移住して20年になるが、ボクはずっと気になっている。
 報じられたところに拠れば、夜だけ通電していたが、その日は日中の電気を消し忘れていたと。そんな程度の安全対策でいいのか。安全装置の設置もされていなかったと言うではないか。
 これは立派に殺人罪が適応されるではないか!
 未だ監督官庁から釈明の一つも聞いてないが、そんなことでいいのか!
 今は世をあげて、人命軽視の無責任時代なんだな。

 悲憤慷慨し切歯扼腕しているが、こんなこと無駄か!?

やっと晴れて、ミシェールのシャンプー日和になった。

 暴風・大雨に曇天が続いたが、、やっと晴れてミシェールをシャンプーした。6月22日以来だから1ヶ月ぶり。クーラーの前でブラッシング・スリッカーをしてやると、気持ち良さそうに目を細めるミシェール
 夕方涼しくなったら、食材のストックが底を突いたので、暫くぶりにミシェールを助手席に乗せて出掛けましょう。今時分の切花は一向に長持ちしない。祭壇の供花もすっかり萎れてしまって、何を忘れても花を買うことだけは忘れまいぞ。
 今日は「海の記念日」という祭日だそうな。「海」の何を記念するのや?
 山里にミシェールと棲むボクには「海」は遠いな。遠い遠い思い出の彼方にあるな。
 「海」かぁ、「海」なぁ。